自然利子率はゼロである

MACROECONOMICS

自然利子率はゼロである ウォーレン・モズラー&マシュー・フォーステイター

訳者からの注意

本Webページは、ウォーレン・モズラー氏とマシュー・フォーステイター氏の2005年6月における論文「The Natural Rate of Interest Is Zero」を日本語訳したものである。元の英語で書かれた論文はモズラー氏のホームページからアクセスすれば、入手することができる(アクセス時、あなたがロボットではないことを確認するちょっとしたテストがあるが、驚かないでほしい)。

目次

本稿は、現代の制度的な取り決めの下において自然・名目・リスクフリー金利はゼロであると論じている。しかし、スペンサー・パックが思い出させてくれたように、「”自然な”及び”自然”という言葉は複雑であり、曖昧さと矛盾を孕んでいる」(Spencer Pack 1995, 31)。ここでは自然という言葉を使うつもりだが、それは「自然の法則」を表そうとしているからではない。これらの理由によって「アルフレッド・マーシャルは”自然”という想像力を刺激してしまう呼び方を、より平易な”正常”に置き換えたのかもしれない」(Eatwell 1987, 598)。マーシャルは、「正常な結果とは、文脈が示唆する傾向の結果として期待できるものである」([1920]1966, 28, 強調は筆者)と自身が書いた時、このことを最も明確にしただろう。この場合、まず文脈を明らかにすることが最も重要である。

政府発行通貨

関連する文脈を特徴づける、第一の決定的な制度的取り決めは、「税駆動型」の政府通貨と変動為替相場である。我々が政府通貨という用語を使う時、それは同時に、税金を課し、発行を独占している政府が存在していることを意味する。変動相場制の通貨は一般的に「不換」通貨と呼ばれており、金本位制や外貨に相場を固定された通貨(カレンシーボード、ペッグ通貨、通貨同盟など)とは対照的に、それ自体にのみ兌換可能な政府発行の通貨(ケインズ 1930)である。このような通貨システムの例としては、現在、米国、日本、ユーロ圏(これに関しては各国が通貨の発行体ではなくなっている)を含む世界のほとんどの工業国が挙げられる。

政府通貨あるいは「政府貨幣」の分析については、チャールズ・グッドハートが「メタリスト(金属主義)・メンゲル派・マネタリスト」の伝統と対比させて、「カルタリスト・チャータリスト(表券主義)」学派と呼んでいる長い伝統がある(Charles Goodhart 1998)。ヨーゼフ・シュンペーター(Joseph Schumpeter 1954)などは「法定通貨」法を誤って強調して表券主義の見解を伝え、結果的には「法的」あるいは「契約的」表券主義のようなものを説明してしまったが、グッドハートは、基本的な洞察として、自国通貨で納税義務を課す政府の力は、その通貨に対する需要を喚起し、その通貨に価値を与えるのに十分であることを明らかにしている。最近の経済思想史の研究では、税金で駆動させられる貨幣(税駆動貨幣)に関するこの命題が過去に支持されてきたという実質的証拠が明らかになっている。今日、歴史上の多くの経済学者が税駆動貨幣の仕組みを理解していたこと、そして、以前の定説に反して、歴史上の多くの通貨が実際には税金で駆動させられていたと分かっている(例えば、Wray 1998, 2004; Bell and Nell 2003; Forstaterの近刊 参照)。

税駆動通貨という考えは、かつては常識だった。これはアダム・スミス以降の経済学者などの著作にも見られる。スミスは、政府貨幣の価値を理解するために、課税が重要であると良く理解していた。実際、彼はアメリカ植民地の紙幣発行を例に挙げていた(Smith [1776]1937, 311-312 参照)。彼より後の経済学者、ジョン・スチュアート・ミル、ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、フィリップ・H・ウィックスティード、ジョン・メイナード・ケインズなど、多くの人が同様であった(Forstaterの近刊参照)。

通貨の発行者である政府と、通貨の利用者である非政府の経済主体・部門との間には、重要な違いがある。家計、企業、州政府、地方自治体、通貨同盟の加盟国は、全て通貨の利用者だ。自国通貨を持つ政府が通貨発行者だ。政府通貨の発行者は、通貨の利用者とは異なる視点で運営されている。運営上、政府支出は、政府の中央銀行の銀行口座に入金するか、実際の現金で支払うことで成り立っている。したがって、一般的な概念に反して、通貨の発行者は通貨の利用者とは異なり、支出しても収入の制約を受けることがない。制約があるとすれば、自発的に定めた制約(借越禁止規定、債務制限など)のみである。ここでは、もし誰かが税金を払ったり、実際の現金で国債を買ったりしても、政府はそれらの通貨を細切れに処分してしまうので、運営上、通貨収入自体は政府にとって何の役にも立たないということに注意してほしい。

米国政府が労働を含む財・サービスを手に入れるために、またはその他の目的のために小切手で支払いを行う場合、その小切手は銀行口座に預け入れられる。小切手が「清算」されると、連邦準備銀行(つまり政府)は小切手の金額分だけ銀行口座に入金する。運営上、課税や借金による「収入」はこのプロセスには関与しておらず、また、このプロセスによって政府は将来の支払い能力を「失う」こともない。反対に、例えば税金の支払いでアメリカ政府が小切手を受け取ると、その小切手の金額分だけ納税者の口座から引き落とされる。これにより納税者の支払い能力は低下するが、政府の支払い能力は強化されず、むしろ常に無限大である。直接預金や電子送金による支払いの場合、政府は、運営上の制約を受けることなく、単に銀行口座に直接入金したり、引き落としたりするだけである。このような状況下での通貨発行政府は、「得点記録係」だと考えられて良い。 ほとんどの試合でそうであるように、得点記録係が点を使い果たす心配はない。一方、非政府部門は、現在の収入や過去の収入から十分な資金を持っている場合や、借り入れをしている場合に限って、支出をすることができる。彼らは確かに収入の制約を受けている。利用可能な十分な資金がない場合、彼らの小切手は「不渡り」になる。

通貨発行政府が収入制約を受けていないことを考えると、課税や債券売却には明らかに他の目的があるはずだ(Bell 2000 参照)。既に見てきたように、課税(及び、人々が納税義務を十分に解消するのに必要なものの指定・宣言)は、(課税がなければ価値のない)政府通貨に対する概念的な需要を生み出す役割を果たしている。そのプロセスは3つの段階に分けて見ることができる。

1.政府は、自らが発行した通貨で支払われるべき納税義務を、人々に課す。

2.納税者は政府通貨の必要性に直面し、その通貨を手に入れるために財・サービスを販売する。

3.政府はその通貨を「発行」し、自らが欲する財・サービスを手に入れるために(つまり、「これらと発行した通貨を交換するために」)それを支出する。

非政府部門は、納税に必要な資金を得るために十分な財・サービスを政府に売却し、その政府が発行する通貨単位での純貯蓄(金融資産)を満たすことに熱心となる。第一に、そして論理の重要な点として、実際に税金を徴収するためには、通貨の独占的な発行者である政府が通貨をあらかじめ支出(または貸出)していなければならないことに注意してほしい。政府が支出以上の収入を得ること(財政黒字)は、あらかじめ収入以上の支出(財政赤字)をしていない限り、論理的に不可能であることに注意しなければならない。したがって、これらの制度的な取り決めの下で期待される正常な予算状態は、財政赤字である。

財政赤字は、

財政赤字 = 非政府部門黒字

というマクロ経済会計の基本的な恒等式の中において非政府部門の黒字と鏡のような関係にあるという意味でも「正常」である。この恒等式の非政府部門には,国内(または居住者)民間部門、外国企業・外国の家計・外国政府を含む外国(非居住者)部門の両方が含まれる。したがって,よく知られている、

(G - T) = (S - I) + (M - X)

及び、

財政赤字 = 国内民間部門黒字 + 外国部門黒字

という恒等式と同じである。ここでの外国部門黒字は、貿易赤字を別の方法で表現したものである。財政赤字は、国内民間部門と外国部門の両方が政府発行通貨の単位で「純貯蓄」することを可能にする。国内民間部門と外国部門、両方の希望する純貯蓄を実現させることができるのは、国内政府の財政赤字だけである。

ここまでの議論を理解してようやく、我々の「自然利子率はゼロである」という主張を証明することができる。その前に、これまでの議論を繰り返そう。為替相場が自由に設定できる政府通貨システムの下において、その通貨システムは税金で駆動される。通貨発行者である連邦(中央)政府は、収入の制約を受けていない。課税は支出を賄うものではないが、政府貨幣の概念的な需要を生み出す役割を果たしている。支出は論理的に徴税に先行し、通常、過去の支出総額は税収を上回っている。そのため、政府予算は当初から赤字であるのが正常であり、それによって非政府部門は政府貨幣を「純貯蓄」することが可能となる(実際、これは全ての政府通貨において観察されている)。

自然利子率はゼロである

政府支出が収入制約を受けないのであれば、なぜ政府(ここでは財務省と中央銀行を統合して考えている)は借金をする(債券を売る)のだろうか。論理的に考えると、支出は徴税に先行して行われるため、政府は借金をする前に十分な支出をしていなければならない。すなわち、論理の重要な点として、債券の売却に関しても政府支出がそれに先行していなければならない。「現実世界」の例を引用すると、連邦準備銀行にある財務省の口座残高を増やすために財務省証券が売却された時、FRBは同日に「レポ取引」(訳注:この場合、中央銀行が銀行準備を民間銀行に渡し、代わりに民間銀行から財務省証券を受け取る取引を指す。一定期間経過後、中央銀行は民間銀行から銀行準備を回収し、代わりに財務省債券を返す)を行うことを、市場参加者は認識している。

通貨発行者は支出するために資金を借りる必要がないので、債券売却は税金と同じように何か別の目的があるはずなのだ。典型的な政府貨幣システムにおけるその目的は、銀行の総体的な準備金を管理し、短期金利(翌日物銀行間取引金利、または米国におけるフェデラル・ファンド・レート)を操作することだ。

現代経済において、政府「貨幣」には、「通貨」と、中央銀行の協定に加盟している銀行の準備として知られる「中央銀行口座」が含まれている。政府支出と貸出は、銀行システムに準備を追加する。政府の課税と債券売却は、銀行システムから銀行準備を流出(減少)させる。政府が財政赤字になると、銀行システムには準備の純貯蓄が生まれる。つまり、政府の赤字支出は、銀行の準備口座への純振込をもたらしているのである。もしこれらの純振込が超過準備につながると、翌日物金利は、超過準備に支払われる金利(例えば、米国や日本ではゼロ%)まで下降することになる。もし中央銀行が翌日物銀行間取引金利を正の数にしようとしている場合、中央銀行は銀行準備に利子を払うか、無利子の銀行準備に代わる利子付き資産を提供しなければならない。一般にこれは、公開市場で債券を売却して超過準備を排出させることによって行われる。中央銀行関係者やトレーダーはこれを「作動要因の相殺」と認識しているが、これは財政政策やバンク・フロート(訳注:小切手の決済が完了していないことで発生する、銀行準備が必要以上に多い状態)などによる銀行準備への影響を相殺するためのものである。これが行われない場合、フェデラル・ファンド・レートが目標金利から遠ざかってしまう。

我々が強調したいのは、中央銀行の準備に利子が支払われていない国(アメリカや日本など)における赤字支出と債券発行に対する「ペナルティ(罰則)」は、(様々な自発的な制約を除けば)政府の小切手の「不渡り」ではなく、現在の日本のようなゼロ%の銀行間取引金利であるということだ。

翌日物銀行間取引金利は、銀行のプライムレート、住宅ローン金利、消費者ローン金利など、他にも多くの重要な金利の基準となる金利だ。故に、フェデラル・ファンド・レートは経済の「基準金利」としての役割を果たしている。つまり、銀行準備に利払いをしたり、超過準備を排出するために債券を売却したりして、金利を積極的に正の数にしようと試みる政府介入が存在しない場合、財政赤字が発生している(財政が「正常」に運営されている)変動相場制の政府通貨システムにおいて、自然(正常)利子率はゼロである。

この分析結果は、最近の研究と経験の両方に支えられている。1990年代の日本の経験は、GDPに占める財政赤字の割合が 7%前後、債務対GDP比が140%に上昇しても、従来の常識のように金利が上昇することはないことを明確に示している。実際、翌日物銀行間取引金利は10年近くゼロに近い状態が続いている。さらにスコット・フルワイラー(Scott Fullwiler 2004)は、「金融市場の技術的変化や金融規制緩和などの最近の動向が金融政策の金利チャネルを混乱させる」という懸念が見当違いであることを実証している。それどころか、1990年代以降、市場金利はフェデラル・ファンド・レートとの連動性がさらに高まっている。

「顧客の納税負債を決済するため、銀行には準備を使用する義務がある」という事実は、準備に対する莫大な需要を生み出し、それによってフェデラル・ファンド・レートの目標が他の金利と「連結」する。(Fullwiler 2004)

自然利子率がゼロであることは、最近の実験的証拠によっても裏付けられている。L.ランダル・レイ(L. Randall Wray 2001)は、ミズーリ大学カンザスシティ校の経済学部で実施されている、社会奉仕プログラムについて報告している。学生は学部内独自の通貨で「課税」され、その通貨を得るために社会奉仕活動をしなければならない。学部の「財務省」は利子付き「債券」を提供し、学生はこれを学部通貨の(無利子の)余剰分で購入するが、提供される利子率は学部の財務省の裁量に委ねられている。もし財務省が利付債券を提供しなければ、通貨の基準金利はゼロになる。

赤字支出で通貨の貯蓄が作られれば、「自然基準金利」がゼロになる。(中略)財務省が正の数の基準金利を維持するために介入すること(例えば債券の利子を提供するなど)を選択しない限り、財政赤字は必然的に基準金利をゼロにする。(Wray 2001,50)

学部通貨の財政赤字は、その通貨での純貯蓄を望む学生の需要に起因するという意味で「正常」である。このことに注目してほしい。

中央銀行は変動相場制の政府通貨の短期金利を明確に操作している。また、翌日物銀行間取引金利を自然(または正常)利子率であるゼロに設定し、市場がリスクを織り込んでその後の信用拡大を抑止することには、多くの正当な理由がある(Mosler 2004 参照)。これがインフレや通貨安にならないことは、日本の経験が既に証明している。強いて言えば低金利が投資・生産性・成長を支えている、という程度だ。利率の変更は重大な分配効果やミクロ効果(そして雇用を促進し、所得を「貯蓄者」から労働者にシフトさせるなど)をもたらす可能性があるが、FRBが自身の文書で明確に認めているように、銀行システムから 1 ドル借り入れるたび1ドル貯蓄が増加するので、純所得やマクロ効果はゼロである。さらに、ゼロ金利政策下での資産価格決定はその「基準事例」であり、ゼロ金利政策からの離脱は(政治的に実施された)この「基準事例」からのシフトであると言える。

固定相場制下の金利

本稿では変動相場制に焦点を当てているが、ここで一旦、固定相場制における金利決定の概要を簡単にまとめることで、前述の議論との対比を図ると共に、文脈を提供する。

固定相場制には、政府がこの法的拘束力のある交換義務を守らないリスクが内在する。このような固定相場制における債務不履行の例は歴史上数多く存在し、最近ではアルゼンチンやロシアの中央銀行がドルへの通貨兌換を認めなかったことなどが挙げられる。また人類史は、様々な金本位制下の債務不履行の例で埋め尽くされている。米国自身も、米ドル対金相場の切り下げと国内の兌換を恒久的に停止した1934年、技術的に債務不履行になった。当時の米ドル保有者も同様に、満期時に受領した米ドルに新たな満期と条件が付けられたため、このデフォルトの対象となった。

市場圧力は、この債務不履行リスクを金利の期間構造に変換する。債務不履行リスクは満期と返済能力の関数であり、「無リスク」金利は兌換の対象物自体(訳注:金本位制における金、ドルペッグ制におけるドル)を保有することへのリターンである。よって、変動相場制における金利の期間構造が必ず(一般的に中央銀行が行う)政策的に決定されるのに対し、固定相場制における金利の期間構造は市場圧力の関数(訳注:「市場圧力から影響を受ける」という意味)なのである。

金本位制の場合、無リスク金利は現物の金を保管する費用に相当するので、数値としてはマイナス金利になる。事実、最も高度なセキュリティ技術を持っていても、現物の金が盗まれたり紛失したりする可能性があるため、「無リスク」などにはなり得ない。米ドルなどの外国政府通貨と兌換する通貨制度の場合、自国通貨の「無リスク金利」は米ドル預金の無リスク金利に相当し、それは正しく、米国財務省債券または米国政府系保険機関の預金における金利である。例えば今日の香港(訳注:香港は自国通貨の相場を米ドルに固定している)だと、米ドルの無リスク金利が香港ドルのそれに当たる。

固定相場制において、借入をせずに通貨を発行して支出する政府は、発行済み通貨が中央銀行で外貨準備(場合によっては金)と兌換されるリスクがある。したがって、その状況下の政府の借入は、中央銀行の外貨準備を保護し、政府の法的兌換義務が不履行にならないようにする機能を果たしている。自国通貨の保有者はその通貨を中央銀行で外貨と兌換できる。そのため、政府債券は兌換行為と「競合」し、市場の力が均衡点(訳注:政府債券を保有することで得られるリターンと、外貨や金を保有することで得られるリターンが等しくなる点)を決定していると考えられる。このことは、固定相場制における債務不履行リスクを認識している政府の支払う金利が、非常に高いことを説明している。仮に固定相場制だとしたら相場を破壊してしまうほどの財政赤字を計上している、日本のような変動相場制の国が、容易に金利をゼロにしているのとは対照的だ。

近年の歴史を見ると、今日に変動相場制を採用している各国の中央銀行は、固定相場制(ほとんどが金本位制)の政策体系を踏襲してしまっている。政策立案者たちは、これらの固定相場制下で収集された金利データや、固定相場制下の金利を外貨・金準備管理やマクロ経済政策に活用した経験を、変動相場制移行後に指針として活用したのだ。現在の「実質金利」対「インフレ」という概念を含め、金利と経済変数との間の様々な相関関係は、新しく採用した変動相場制下でも継続すると仮定されている。

主流の分析は米国の「双子の赤字」について、為替政策の「模範から外れている」一例に過ぎないとしている。ある人は、米国が輸入資金を得るために毎日「海外から借り入れ」をしていると思っている。この考え方は固定相場制では有効だったかもしれないが、変動相場制における経常収支赤字は、非居住者が米ドル金融資産の貯蓄欲求を実現した結果でしかない。米国には「資金調達リスク」はなく、米国の金利は貿易収支の関数ではない(訳注:「貿易収支から影響を受けない」という意味)。

結論

変動相場制の政府通貨制度では、自然利子率、名目金利、無リスク金利、全てがゼロだ。フェデラル・ファンド・レートには経済におけるその他の金利が非常に密接に繋がっている。この金利は経済の基準金利として機能し、市場はリスク評価を通じて信用拡大を決定する。その上、金利が自然利子率になるようにすることが経済的に良い理由は、いくつかある。従来の固定相場制の常識は変動相場制には当てはまらず、これが現在の混乱の元になっているのかもしれない。

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