金融経済における物価安定化装置の最大化(4)

MACROECONOMICS

金融経済における物価安定化装置の最大化(4) ウォーレン・モズラー

訳者からの注意

本Webページは、ウォーレン・モズラー氏の2016年における論文「Maximizing Price Stability in a Monetary Economy」を日本語訳したものである。この論文はPDF文書1枚に収められているが、その日本語訳をWebページとして作成するにあたっては4つに分けた。その分、各ページの容量は少なく、容易にアクセスができるようにしてある。一方で読者諸君にはページ間を移動するというお手数をおかけする。その点、ご容赦願いたい。

目次

9. 労働者バッファーストック政策の費用と便益

この節の目的は、労働者バッファーストック政策によって発生し得る費用と、この政策によってユーロ圏のインフレと実質GDP成長において発生し得る影響を明らかにすることだ。さて、まずECBがこのような暫定的雇用プログラムを実施するための費用について説明しよう。直接的費用は、ECBが固定している最低賃金、暫定的雇用に参加する労働者の数という2つの指標に関わるものだ。現在、ユーロ圏諸国の最低月収は、リトアニアの300ユーロ、ベルギーの1,500ユーロ、ルクセンブルクの1,923ユーロとなっている。ここではこれまでと同様、ECBが時給7ユーロで週35時間を必要とする暫定的雇用を確立していると仮定する。9プログラムの実施費用はECBや加盟国が負担することになる。しかし、このプログラムを実施するためには、ECBや加盟国に新たな種類の費用が発生する。これらの費用は、暫定的に雇用された労働者を支援するために必要な、新たな設備やその他の資本財や中間財の支出に関わるものだ。2015年10月、ユーロ圏19カ国に1,724万人の失業者がいた。全ての失業者がこの政策の賃金で働きたいと考えていると仮定すると、ECBがこの政策を実施するための最大の直接的費用は月181億4000万ユーロに上る。総資本形成に向けられるユーロ圏諸国それぞれの政府支出は、公共支出全体の約11.34%となる。このプログラムでも資本と労働の比率が同じだと仮定すると、新たな設備のために毎月21億ユーロの支出を追加しなければならないことになる。

しかしながらユーロ圏諸国は、暫定的雇用を選択した人々の所得の維持・支援のための現在の支出によって、直ちに毎月123億ユーロを貯蓄することが可能になる。この貯蓄は新たな設備投資支出を差し引いてECBに送金されるため、暫定的雇用のためのECBの総支出が削減されることになる。

それ故、暫定的雇用プログラムを実施するための総支出は、1ヶ月あたり約80億ユーロとなる。

次に、ECBの月80億ユーロの支出による、ユーロ圏の名目GDPへの影響を試算してみよう。

2016年第1四半期の名目GDP増加額は240億ユーロ、つまりこのプログラムを実施するために必要な純支出額に相当する。その後の期間では、ECB支出は変わらないが、乗数効果で名目GDPは増え続ける。それでは消費性向を0.92%と仮定しよう。10労働者バッファーストック政策を実施するためのECB支出がその後の四半期でも80億ユーロで固定されたままであったとしても、我々が選択した強力な所得乗数効果により、名目GDPは表3の1列目の金額で増え続ける。外生的な名目GDP成長を想定すると、インフレ率と実質GDP成長の予測分析結果は表3の2列目と3列目のようになる。

表3. 2016年第1四半期に240億ユーロ、そしてそれ以降の0.92xGDPt-1の名目GDPの増加を仮定した、インフレ率(PCONS)と実質GDP成長率(YR)の予測

予測結果によると、ECBが雇用労働者のバッファーストック政策に資金を投入することで、インフレ率は2%強の高値を記録した後、2%弱に後退し、約3年後には1.65%に落ち着くことになる。つまり、強引な仮定をしても、雇用された労働者のバッファーストック政策による支出が悪性インフレを引き起こすという証拠はない。

さらに、乗数の規模があまり大きくないならば、「雇用された労働者のバッファーストック政策は、失業者を利用する現行政策よりも優れた物価アンカーである」との我々の主張の下で、ECBによる暫定的雇用の純資金供給の結果として、そのモデルはさらに低いインフレ率を示すことになるだろう。

10. 結論

本稿では、ECBの唯一の責任である、物価安定を達成するため手段を分析した。いくつかのバッファーストック政策の揮発性と流動性を比較した結果、雇用された労働者のバッファーストックは、過去に使用されたバッファーストック(金やトウモロコシなど)だけでなく今日の失業者バッファーストック政策よりも優れた物価アンカーを提供することを示した。

我々は、ECBが直接管理している雇用済みバッファーストックの賃金を、新たな金融政策の手段、そして物価安定の手段として選択することが、ECBの責任に関して優れた結果をもたらすと結論付ける。

また、実施と資金調達に関しても提案した。加えて、雇用された労働者のバッファー・ストックは、物価安定のための優れた手段であると同時に、ECBの物価安定の責任を損なうどころか向上させる、その他の重要な利益をもたらすことが示された。

さらに、雇用された労働者のバッファー・ストック政策は、経済成長と労働者の雇用・解雇を促進し、かつ生産性の低い部門から生産性の高い部門への企業の転換を図るために提唱されてきた、いわゆる「構造改革」を構成しているといえる。その上、地下経済の規模縮小と代替、ユーロ圏諸国間の経済格差の縮小を促進する。

失業者した労働者のバッファーストックから雇用された労働者のバッファーストックへの移行は、ECBに優れた物価アンカーを提供するだけでなく、物価安定のための責任を達成するためにも有用だ。ECBは、暫定的雇用の賃金設定と、雇用された労働者のバッファーストックの規模を変更する政策を実施すると共に、不正や乱用がないかどうかを監視する。この政策は完全に、ECBの物価安定の責任に則っている。

価格の安定性を損わずに、働く意思があって働くことができる人のための暫定的雇用を制定することは、最低賃金に関する立法の必要性を無くし、公共部門のサービスの(量だけでなく)質を向上させるなどの追加的な利点も提供する。

以前に失業していたが暫定的労働者として雇用された人たちは、労働による有用な生産活動をする過程で、人的資本を維持・強化していくだろう。これは、失業期間中の人的資本の悪化とは対照的だ。

最後に我々は、この計画が、全ての市民に最低所得を保証することを目的とした政策とは、質的に大きく異なることを強調する。確かに、「ベーシックインカム」と呼ばれるそのような提案は、物価アンカーとは正反対のものとして機能するリスクがある。そのような政策は、受益者が報酬を得るために自身の時間(仕事)を売ることを要求していないため、予測される結果は全く異なるものとなる。

出典

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Time. 2011. “Out of Work in America.” Special report, May 23.

後注

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9. これは月収1,052ユーロに相当する。

10. これは連邦準備制度理事会が想定しているものであり、ゼロ金利以下が有効な場合の政府支出乗数についてローレンスら(Lawrence et al., 2010)が推計したものと一致する。