金融経済における物価安定化装置の最大化(3)

MACROECONOMICS

金融経済における物価安定化装置の最大化(3) ウォーレン・モズラー

訳者からの注意

本Webページは、ウォーレン・モズラー氏の2016年における論文「Maximizing Price Stability in a Monetary Economy」を日本語訳したものである。この論文はPDF文書1枚に収められているが、その日本語訳をWebページとして作成するにあたっては4つに分けた。その分、各ページの容量は少なく、容易にアクセスができるようにしてある。一方で読者諸君にはページ間を移動するというお手数をおかけする。その点、ご容赦願いたい。

目次

6. 現行政策との比較

次に、雇用された労働者によるバッファーストック政策と、失業者をバッファーストックとして利用する現行の政策とを比較する。

雇用された労働者によるバッファー・ストック政策の本質的な形態は、働く意思があって働くことができる人に、政府が固定賃金の暫定的な仕事を提供するものである。我々はこれを「暫定的な」仕事と呼んでいるが、それは失業から民間雇用への移行を促進するために設計されているからである(さらに我々が、この政策を効率性と「競争力」を促進する「構造改革」と呼ぶことは厳密に正しいと示していることに注意してほしい)。実際、今日の失業率の増減のように、労働者バッファーストックの規模は経済の労働需要が減れば大きくなり、経済の労働需要が増えれば小さくなる。

雇用された労働者によるバッファーストック政策の第一の利点は、現行の失業者によるバッファーストック政策よりも流動性が高いことである。これはECBの唯一の責任を支える優れた物価アンカーとなるだろう。加えて、これは民間部門による生産と雇用の成長をさらに助ける。5これが、失業者をバッファーストックとして利用する今日の政策と比較して、労働者の流動性とパフォーマンスの点で優れている第一の理由は、「雇用者(企業)は、失業者を雇用するよりも、既に雇用されている人を好む」からである。6

さらに、失業者を雇用することへの抵抗感は、その人の失業期間が長ければ長いほど増大する。7この傾向は、失業率が比較的高い水準で推移しているにもかかわらず人手不足が発生する状況を引き起こす。したがって、過剰な生産能力(失業者)のように見えるものは、あらゆる実用的な目的のために使用されない。

さらなる利点としては、雇用された労働者のバッファーストックが行う暫定的な仕事自体が失業者よりも有用な生産を生み出す可能性、完全雇用に関連したプラスの社会経済的外部性、今日の失業政策に関連したマイナスの社会経済的外部性の排除などが挙げられる。この政策は、現行の政策のように失業者バッファーストックを利用するのではなく、(ECBが希望するインフレ率を維持するために、雇用された労働者のバッファーストック政策を利用し、)「自然失業率」の概念を「暫定的自然雇用率」という概念に置き換える。さらに我々は、特定のインフレ目標を設定して経済成長が起きた場合、ECBが現在の政策でインフレ目標を達成しようとした場合の失業水準よりも、暫定的雇用の水準の方が低くなると結論付ける。この違いは、例えば今日の目標とされている2%のインフレ率が実際に発生した時に、民間部門への移行が容易になることで暫定的雇用がより多くの雇用を促進することに起因している。言い換えれば我々は、雇用されたバッファーストックがあれば、金融政策の目標がインフレ非加速的(自然)失業率の場合に比べて、非インフレ的かつ高水準の生産と雇用を生み出すことができると主張しているのだ。また最も重要なこととして、民間企業の成長が鈍化した場合には暫定的雇用がそれを多少埋め合わせる一方、民間企業が成長して失業者よりも暫定的雇用を求める場合には、現行政策と比べて、物価の変動が抑制される可能性が高い。

7. 雇用バッファーストック賃金の役割と運用

市場経済におけるバッファーストック政策はある財・サービスの価格を設定し、その後、他の全ての財・サービスの価格はその設定された価格に対する相対価値を反映する。これは金本位制の基礎でもある。例えば、政府が金の価格を設定した後、他の全ての財・サービスの価格が金に対する相対価値が反映していた。したがって、市場に新たに金が供給されると、他の財・サービスに対する金の相対価値が低下した。また、金の価格を一定に保つ政策の下で新たに金が供給されたならば、他の価格は、相対価値の変化を反映して上昇するという意味で、インフレになった。

同様に、労働者バッファー・ストック政策では、(本稿の提言では)ECBが暫定的仕事の賃金を設定し、その後、市場が暫定的仕事の労働者の設定価格に対する価値を表すように、他の全ての価格を決定することを想定している。したがって、雇用された労働者のバッファーストックの賃金は、ある通貨の物価アンカー、価格安定の手段、また実際にはユーロ圏におけるユーロの価値を定義する源泉として機能している。雇用労働者バッファーストック政策の管理・運用は、理論上ではECBの責任となる。

ECBが設定したバッファーストック賃金の役割は、標準的なミクロ経済学的独占価格理論によって説明される。そこでは、独占者が「プライステイカー(価格受容者)」ではなく「プライスセッター(価格設定者)」であり、2つの価格を設定する。1つは「独自のレート」であり、その生産物がそれ自身とどれくらいで交換されるかを示す。これは通貨では金利に相当する。例えばECBはユーロの政策金利の価格設定者だ。独占企業が設定する2つ目の価格は、その製品が他の財・サービスとどのように交換されるかを示すものだ。これは、少なくとも一つの取引される財・サービスの交換条件を設定することによって設定される。ここので提案におけるその価格は、雇用労働者バッファーストック政策に参加している暫定的労働者に支払われる賃金に相当する。つまり、その賃金が通貨の価値尺度となり、市場によって他の全ての価格が調整されることで、ECBが設定した雇用バッファー・ストックの賃金で無差別水準が継続的に反映される。

そして、ECBはこの賃金を使ってインフレ目標を達成することになる。賃金を固定することは、例えば生産性の伸びを0%と仮定すると、最終的な物価のインフレ率が0%になるのを促す。また例えば、目標が2%のインフレであれば、生産性の伸びを0%と仮定すると、年率2%で賃金が継続的に上がるだろう。生産性が上がれば、それと同等に最終的な物価を上昇させるために、暫定的雇用の賃金をそれだけ上げることができる。

同時に、暫定的な仕事の賃金がインフレ率を決定する一方で、公共目的の他の側面を損なうことなくバッファーストックが効果的な物価アンカーとして機能するように、バッファーストックの規模を管理することも重要だ。それ故、ECBは賃金だけでなく、雇用バッファーストックの規模にも気を配ることになる。もしそれが効果的な物価アンカーとして必要以上に大きいと判断された場合、ECBは、加盟国の財政拡大に対応するためのオプションを含む、GDPの増加を目的とした政策を実施する権限を有している。同様に、雇用バッファーストックの規模が小さすぎて価格アンカーとしての機能を果たせないと判断された場合には、限定的な政策をとるべきであろう。

a. 財政収支

財政収支とは、最終的に市場によって決まるものである。公的債務とは、非政府部門が保有する純金融資産の会計記録である。これは、各国政府が支出したユーロのうち、まだ納税に使われていないものを合計したものであり、全ての現金・ECBシステム内のユーロ準備残高・ECBシステム内のユーロ証券口座残高のうち、納税に使われるまでの残高のことだ。つまり、政府がユーロを支出した後、そのユーロは税金を払うために使われて経済から取り除かれるか、税金を払うために使われずに 「貯蓄」として保有されるかの、どちらかの道を辿る。

財政赤字が小さすぎて民間部門の貯蓄欲求を満たすことができない場合、(貯蓄欲求を満たすために必要な所得が不足していると認識した)市場は、支出と雇用を減少させる。それによって税収が減少し、政府の移転支出が増加することで、公共部門の赤字は増加する。これらの市場の力は、公共部門の債務が望まれたユーロ建て金融資産の純貯蓄と(恒等式によって)等しくなるまで継続する。

これと同じ市場の力が、我々が提案した暫定的に雇用された労働者のバッファーストックと共に、公共部門の債務水準を決定するのに働いている。望まれた貯蓄が公的債務の大きさを超えると、市場の力が働き、支出・売上・生産・民間雇用が減少し、それによって税収が減少する。そして、この場合、暫定的な仕事の従業員の数が増加し、同時にその賃金総額が増加する。今日のように、公共部門の赤字と債務は、貯蓄欲求と利用可能な貯蓄を等しくする市場の力によって設定され続けるだろう。

b. 計算

雇用された労働者のバッファーストックに含まれる暫定的な労働者へのECBによる支払いの計算は、それ自体で実質的な経済的影響を持たない。しかし、名目上の費用は、現在の制度構造の下では深刻な政治的配慮を伴うものである。例えば、ECBは単に支払いを経費にすべきだが、ECBは資本金を削減すると述べている。自国通貨建ての運用資本は中央銀行にとって実質的な結果をもたらさないが、現在は政治的に決定された結果が存在する。例えば、EUではECBの資本化が政治的に求められている。そして、もし経費で資本が減るとECBは加盟国に資本を拠出するよう要求し、加盟国はさらに債務や赤字の限度額を遵守することが求められる。したがって、以下の財政的提言は、単に現在の政治的現実に対応して提示されているだけだ。

第一の政治的決定は、バッファーストック賃金の費用を、加盟国の領域ごとに発生した費用を基に各加盟国に配分して計上するのか、それとも総人口に比例して計上するのか、ということである。我々は、ECBの物価安定の責任を満たすための追加的な手段として、暫定的に雇用される労働者のバッファーストックをECBが直接管理することを提案している。しかし、現行では失業補償が加盟国によって支払われていることから、暫定的に雇用された労働者のバッファーストックの名目費用もこれと同じように計算することを提案している。

加盟国一国あたりの追加費用は、暫定的バッファーストック雇用を選択した失業者へ以前に支払われた様々な移転支出の貯蓄によって部分的に相殺され、追加の純費用は現在の支出に上乗せされることになる。ECBの資本が減少することによる追加的費用の発生を防ぐために(ここでも資本の減少が政治的な障害になると仮定している)、加盟国はECBの費用と同額の移転可能な納税振込をECBに発行することができる。これらの納税振込はECBのバランスシート上の資産となる。また、前述の賃金や経費の支払いとしてECB加盟銀行に入金されたユーロは(同額の)ECBのバランスシート上の負債となる。ECBが納税振込をユーロに変換する必要があると判断した場合(いかなるときも我々はこれを予想できない)、納税振込はECB加盟銀行に額面金額で売却され、ECB加盟銀行は預金者に代わって加盟国への納税を行う際にそれを使用することができる。

8. さらなる考慮事項

a. 為替相場と競争力

ユーロ圏は、変動相場制の開放経済であり、内需だけでなく国内の価格設定も、外国からの影響を受け続けている。国内政策を失業者のバッファーストック政策から雇用された労働者のバッファーストック政策にシフトしても、これらの力や攻撃が大きく変化することは予想できない。しかし、雇用された労働者のバッファー・ストック政策に移行すると、結果は悪くなるどころかむしろ間違いなく良くなると予想されることを示す、いくつかの一般的な結論を導き出すことができる。

第一の暗黙の利益は、長期の物価安定性が保たれていれば、実益をもたらすと推定される、通貨の安定性も保たれるはずということだ。加えて、暫定的仕事をしながら待機している労働力の流動性を高めることで、民間企業の柔軟性を高めることができる。また、新規雇用によって経済成長する機会に対応する際、採用費用を削減することができる。このような効率性の向上は、「競争力」を高め、最終的には実質的な貿易条件を向上させる傾向がある。

b. 外国直接投資(FDI)

外国直接投資は通貨を支える傾向があり、基本的に投資の収益性に大きく左右される。歴史的に見ても、外国直接投資は費用削減を目的に行われるか、内需からの利益に関する見通しが良好な国に向けて行われる。雇用された労働者によるバッファー・ストック政策に支えられた暫定的労働者は、以下の2つの利点を持っている。第一に、既知の賃金で働く準備ができている労働力を提供する。第二に、消費者でもある雇用された労働者が、失業している消費者よりも多くの総需要を支えることができる、優れた信用(銀行からの借入)を受けられるようになる。

c. 政策の実施

雇用された労働者のバッファーストック政策の実施は、激しい議論と討論に値するものである。そこで我々は、その実施の一例として以下に提案する。

我々は、誰でも意欲的に働くことができる週35時間の暫定的な仕事に、時給7ユーロの非破壊的な賃金を設定することから始めることを提案する。その上で我々は、まず加盟国政府が自国の各省庁に赴き、特定の固定給で暫定的な労働者として働く意思のある全ての人を公務員として新たに雇用するための、無限の予算を政府が持っていることを公表することを提案する。その人たちは、警察署や教育施設、様々な行政機関のアシスタントとして働くことができる。これらの政策が、費用を節約するために政府の「普通の」労働者を解雇することはない。30日後には、このプログラムの実施団体を各地方自治体や市町村にも広げ、30日後には非営利団体や慈善団体にも広げていく。これにより、有給の仕事を求めている失業者が地元で働けるようになる。また、働くようになった労働者は民間企業の雇用者にとっても魅力的なものになる。

この労働者バッファー・ストック政策の組織化・監督・評価は、現行の構造的政策と同様の方法で、加盟国と欧州委員会の間で相互に実施することができる一方、暫定的労働者の雇用条件を確立し、不正や乱用がないかどうかを監視する権限を持つECBの独立性は維持される。

さらに我々は、既に雇用されている労働者が新しい暫定的な仕事に就くために現在の仕事を辞めないよう、暫定的雇用の賃金を最初は破壊的でない水準に設定することを提案する。これにより暫定的雇用が、商業的な取り決めや企業コミュニティの「競争力」と一般的に呼ばれているものに悪影響を及ぼす可能性のある、初期のインフレを引き起こしかねない賃金による打撃を生むことを防ぐことができる。8また、暫定的雇用の賃金は一般的な最低賃金として機能する一方、最初に非破壊的な水準に設定することで、その後はデフレを防ぎつつインフレを促進しないように機能する。これはまた、理論の重要な点として、働く意思があって働くことができる人に提供される暫定的雇用の賃金によって、最低賃金に関する立法が必要なくなることを意味する。

繰り返しになるが、前述のように、ECBが例えばインフレ率を2%にしたいと考え、生産性の伸びを0%と仮定した場合、暫定的雇用の賃金は当初の設定から毎年2%ずつ引き上げられる可能性がある。

後注

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5. 実際、民間企業による雇用・解雇の柔軟性を高めることを狙った、労働市場の構造変化を助けることにもなるだろう。また、労働者バッファーストックは、民間企業が従業員を獲得するために労働者へ提供しなければならない最低賃金を確立する。

6. 雇用者(企業)が、失業者よりも既に雇用されている人を雇うことを好む理由は、以下のように複数ある。1) 既に働いている人は、働く意欲があることを証明されている。2) 失業者が職を失った理由は、分かりようがない。3) 既に雇用されている人は、新しい仕事に早く適応することができる。4) 既に雇用されている人は、より新鮮な仕事のスキルと、仕事の習慣を持っている(Time 2011)。

7. クラフトら(Kroft et al., 2012)やクルーガーら(Krueger et al., 2014)などは、長期失業者は短期失業者よりも、1~2年後に雇用される確率が 20~40%低いという証拠を提供している。米連邦準備制度理事会(FRB)のジャネット・イエレン議長は、シカゴで開催された2014年全国省庁間コミュニティ再投資会議での演説で、長期的な傾向にある失業率の上昇と、2000年以降の労働参加率の低下に関する証拠を報告した。

8. 我々の提案は、ごく最近のブランチャードとポーゼン(Blanchard and Posen, 2015)の提案に沿ったものではあるが、いくつかの点で後半の議論が異なる。これらの(日本を参考にしている)著者は、デフレの窮地から脱却するために政府が全面的に5~10%の昇給を義務付ける所得政策をとることで、高賃金が物価を押し上げ、それがまた賃金を押し上げるというスパイラルを生み出すことができると指摘している。我々は、企業の経営判断に直接干渉しなくても、暫定的雇用が同様の役割を果たすことを示唆している。

9. これは月収1,052ユーロに相当する。