金融経済における物価安定化装置の最大化(2)

MACROECONOMICS

金融経済における物価安定化装置の最大化(2) ウォーレン・モズラー

訳者からの注意

本Webページは、ウォーレン・モズラー氏の2016年における論文「Maximizing Price Stability in a Monetary Economy」を日本語訳したものである。この論文はPDF文書1枚に収められているが、その日本語訳をWebページとして作成するにあたっては4つに分けた。その分、各ページの容量は少なく、容易にアクセスができるようにしてある。一方で読者諸君にはページ間を移動するというお手数をおかけする。その点、ご容赦願いたい。

目次

4. 現行の政策

現実においてユーロは、物価の安定を促進するために失業者(生産ギャップの指標)をバッファーストックとして利用している。インフレ率が高すぎると判断された場合には失業者(のバッファーストックの規模)を増加させるように設計された政策を実施し、より高いインフレ率が望まれた場合には失業者を減少させる政策を実施する。具体的に言うと、ECBは物価安定の促進を目的として、その政策手段を用いて(間接的に)失業率の変動を促進している。フィリップス曲線の理論では、インフレは失業率の関数であり、失業率が低いとインフレ・バイアス、高いとデフレ・バイアスとなる。さらに、制度構造の変化に伴い、曲線は傾きとy軸に沿って変化すると仮定されている。さらに、NAIRUと呼ばれる失業率が想定されている。失業率がそれ以下になるとインフレが加速するとされている。このインフレの加速は、失業率の低さが引き金となってインフレ期待が加速し、それがインフレ期待の2つの主要な推進要因である賃上げ要求と支出の加速を誘発することによって引き起こされると考えられている。図4は典型的なフィリップス曲線だ。

図4:長期及び短期のフィリップス曲線 出典: http://tutor2u.net/economics/content/essentials/phillips_curve_clip_image004.gif

ECBの政策は、曲線上の経済の位置をシフトさせるためのものである。一方、(「構造改革」と呼ばれるような)その他の政府の政策は、人口動態の変化と相まって、曲線をシフトさせるように作用する。つまり、政策手段が金利の期間構造であるのに対し、インフレの原因はインフレ期待なのだ。インフレ期待は、金利政策の影響によって直接的に変化するだけでなく、失業率がインフレ期待に与える影響によっても変化し得る。

金利と失業との金融的なつながりは、信用経路を介して成り立っている。金利の上昇は、消費と投資、両方のための実際の財・サービスに支出するための借り入れをする意欲と能力を減少させる。それによって売上・生産・雇用が減少すると推測されている。

逆に言えば、金利が下がれば借り入れ意欲が高まり、売上・生産・雇用が増加すると推測される。特に、投資は伝統的に金利の影響を大きく受けているとされてきた。さらに、金利政策と生産・雇用の関係は十分に強固なものであると考えられており、財政黒字によって政府債務を削減し、希望する生産・雇用水準を維持するためには金融政策が活用できると仮定されている。

ここ数年、以前に推定されていたいくつかの因果関係について実質的な実証的証拠が得られた。

それによると、インフレが想定されていたよりも生産や雇用の変化に敏感でないことに加えて、金利・インフレ・投資・生産・雇用、さらには信用拡大自体とも全く関係ないように見える。5年以上にわたってゼロ%に近い金利政策が行われ、最近では量的緩和やマイナス金利が導入されているが、生産ギャップは驚くほど大きく、金融システムはデフレの境界線上にある。そのため、民間企業の信用拡大は依然として低迷しており、投資・消費・インフレの牽引役にはなっていないと推測される。恒久的に失業者が上昇したことによる実質生産高の莫大な規模の損失と共に、失業者による負の外部性によって生成された政治的圧力も同様に激化している。またここ数年の成果は、提案されているECBの責任が利用可能な政策ツールの関数であるという仮定に疑問を投げかける証拠を持つため、ECBの責任の拡大に関するブランチャードら(2013)の提案を大きく覆している。その結果、失業者バッファーストックの概念自体が非常に問題になっている。

信用拡大の終了後、積極的に金利が引き下げられた。

図5:(ユーロ建ての)3ヶ月ロンドン銀行間取引金利(LIOBR) 出典:ICE Benchmark Administration Limited (IBA)
図6:(ユーロ圏の)民間非金融部門に対する信用の総計(信用提供の取り消しを調整したもの) 出典:Bank for International Settlements

信用拡大が終了したために失業率が上昇し、現在も上昇し続けている。

図7:調和失業者(ユーロ圏の全人口) 出典:Organization for Economic Co-operation and Development

そして生産は落ち込んだままだ。

図8:一定物価での支出面の国内総生産:ユーロ圏の国内総生産 出典:Organization for Economic Co-operation and Development

この一連の流れは、ごく最近になって The Economist(2016: 9)で支持された。そこでは以下のように主張された。「貨幣が安い割に、銀行の信用拡大は悲惨なものになっている。取引は、まさにその結果を称えるかのように、終わりのない低インフレへの期待を反映している」と。

5. 欧州中央銀行の金融政策の影響に関する証拠

本節では、ユーロ圏におけるECBの金融政策について実証的な証拠を提示する。ここでの演習の狙いは、ユーロ圏の金融政策・インフレ・経済成長の歴史を概観し、ECB自身の機能と仮定に基づいて、現在進行中のECBの量的緩和政策が今後2年間の成長とインフレに与え得る影響を明らかにすることにある。

物価安定が金利と期待の関数であるという仮定を考慮に入れると、従来型と非従来型の金融政策が物価安定を成功するかどうかは、以下2つの伝達メカニズムの働きにさらに依存している。1) 短期有価証券に対する長期有価証券の相対価格に、影響を与える能力。そして、2) インフレ期待を目標水準に近づける能力(図1参照)。これらである。

これらのメカニズムがどの程度有効かを推定するために、ユーロ圏における1999年第1四半期から2015年第4四半期までの用いてベクトル自己回帰(vector autoregression, VAR)モデルを検証した。また、ECBが2017年末まで月600億ユーロの総資産を増やすと仮定した予測演習も行った。

そのベクトル自己回帰モデルは以下のようになる。

Yt = α + A(L)Yt−1 + Bεt, (1)

Yt は内生変数のベクトル、α は定数のベクトル、A(L) はラグ演算子 L の行列多項式、Bは相互に無相関の外性的な乱れ ε の同時発生した影響の行列である。本稿の仕様における内生変数のベクトル (Yt) は、季節調整後の実質GDPの対数、季節調整後の消費者物価指数の対数、季節調整後の中央銀行資産の対数水準という3つの変数で構成されている。1

金融政策の実施が中央銀行のバランスシートの大きさに反映されていると仮定することによって、我々の狙いは、中央銀行のバランスシート政策がインフレと経済成長に与える全体的な影響を、経済主体のインフレ期待を考慮して評価することになる。

上記のベクトル自己回帰モデルを推定するためのデータは、ユーロスタット(欧州委員会の統計を担当する部局)とECB統計データ保管局から得ている。

まず我々は、内生変数のラグを推定するために、通常のラグの長さの選択基準を設定した。3本のラグの長さは有意であることが判明したが、結果はラグの長さの仕様を変えても健全であることが証明された。そこで、通常の最小二乗法を用いて3つのラグの自己回帰システムを推定した。全ての変数の水準と変化は四半期ごとに表される。

図9は全期間の累積的なインパルス反応を示している。

図9a.累積インパルス反応(3つのラグ)、2000年第1四半期から2014年第4四半期
Cholesky One S.D. Innovations ± 2 S.E. に対する累積反応
DLOG(GPCONS)に対するDLOG(GPCONS)の累積反応
DLOG(YR) に対する DLOG(GPCONS) の累積反応
DLOG(PORTBCE) に対する DLOG(GPCONS) の累積反応
DLOG(GPCONS) に対する DLOG(YR) の累積反応
DLOG(YR) に対する DLOG(YR) の累積反応
DLOG(PORTBCE) に対する DLOG(YR) の累積反応
DLOG(GPCONS) に対するDLOG(PORTBCE) の累積反応
DLOG(YR) に対する DLOG(PORTBCE) の累積反応
DLOG(PORTBCE) に対する DLOG(PORTBCE) の累積反応

ECBバランスシート(PORTBCE)における外生的ショックに対するインフレ率(GP CONS)と実質GDP成長率(YR)の累積反応は負であり、第6四半期後に正になることは注目に値する。

これらの結果は、「ECBの金融政策によるインフレ・生産高への影響は弱い」というこれまでの結論を裏付けている。

これらの結果が金融危機中の影響をどの程度受けているかを理解するため、1999~2006年と2008~14年のインパルス反応の累積値を分けて推計した。結果、図9bと図9cのようになった。

図9b. 累積インパルス反応(3つのラグ)、1999年第1四半期~2006年第4四半期

Cholesky One S.D. Innovations ± 2 S.E. に対する累積反応

DLOG(GPCONS)に対するDLOG(GPCONS)の累積反応

DLOG(YR)に対するDLOG(GPCONS)の累積反応

DLOG(PORTBCE)に対するDLOG(GPCONS)の累積反応

DLOG(GPCONS)に対するDLOG(YR)の累積反応

DLOG(YR)に対するDLOG(YR)の累積反応

DLOG(PORTBCE)に対するDLOG(YR)と累積反応

DLOG(GPCONS)に対するDLOG(PORTBCE)の累積反応

DLOG(YR) に対する DLOG(PORTBCE) の累積反応

DLOG(PORTBCE)に対するDLOG(PORTBCE)の累積反応

実際、表9aの結果は、2007年以降の期間によって動かされている(図 9.c 参照)。対照的に、金融危機の以前には、ECBのバランスシートによるランダムなショックがインフレと経済成長の両方に正の影響を与えていた(図9b)。

図9c. 累積インパルス反応(3つのラグ)、2008年第1四半期~2014年第4四半期

Cholesky One S.D. Innovations ± 2 S.E. に対する累積反応

DLOG(GPCONS)に対するDLOG(GPCONS)の累積反応

DLOG(YR)に対するDLOG(GPCONS)の累積反応

DLOG(PORTBCE)に対するDLOG(GPCONS)の累積反応

DLOG(GPCONS)に対するDLOG(YR)の累積反応

DLOG(YR)に対するDLOG(YR)の累積反応

DLOG(PORTBCE)に対するDLOG(YR)と累積反応

DLOG(GPCONS)に対するDLOG(PORTBCE)の累積反応

DLOG(YR)に対するDLOG(PORTBCE)の累積反応

DLOG(PORTBCE)に対するDLOG(PORTBCE)の累積反応

これらの結果は、金融政策に金融危機中のインフレと経済成長を促進する効果がなかったことを示唆している。実際、この時期のECBは、物価安定の促進に積極的な役割を果たすというよりも、不良債権を救済するために必要な流動性を供給するという受動的な役割を主に果たしていた。対照的に、2013年以降、ECBの主要な目標はユーロ圏のデフレとの戦いになっている。

そこで、ECBがユーロ圏で実施している最新のインフレ期待調査を考慮した上で、「ECBが自身の持てる手段を活用して継続的に行っている資産購入プログラムが、インフレや生産高にどのような影響を与えるか」を分析してみよう。

表2は、現在の欧州の金融政策が2017年末まで実施され(そうなるとECBのバランスシートが四半期ごとに1800億ユーロ増加する)2、2年先のインフレ期待値(INFLE2)が1.5%(2015年12月のECB最新調査による数値)に等しいと仮定した、予測シミュレーションの結果だ。3

表2. ECBバランスシートにおける外生的影響を仮定した場合の、インフレ率(DEFL)と実質GDP成長率(YR)の予測。なお、2年先のインフレ期待は1.5%(2015年12月現在)

予測の結果、ECB自身の仮定と実証的証拠を踏まえると、ECBが2017年末まで資産購入プログラムの現行政策を実施したとしても、目標インフレ率2%の達成は難しいと分かった。4さらに心配なのは表2の最後の欄に示されている実質GDP予測の成長率の低さであり、現在の金融政策ではユーロ圏が現在の経済成長率の低迷から抜け出すことはできそうにないと分かる。

これまでの分析から、データやECBの仮定を踏まえると、現在のECBの金融政策がユーロ圏の物価安定につながる可能性は低いと容易に結論付けられる。これは、生産ギャップが大きいという文脈で、(さらなるインフレを引き起こすと思われた)インフレ期待の推定値が、金融政策目標の達成を妨げるからである。

次の節では、労働者バッファー・ストック政策が、金融政策の費用と便益の両面において現行の政策と比較して物価安定を達成する上で優れた政策であることを示す証拠を提示する。

後注

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1. 公定歩合が下限金利に達した時の中央銀行のバランスシートの方が、中央銀行の政策によるマクロ経済的影響を分析するのに適しているのは当たり前のことである。(これについては Curdia and Woodford, 2003 や Borio and Disyatat, 2010 などを参照のこと。)しかし、政策金利が有効であると推定される場合だとしても、政策金利の変化は中央銀行のバランスシートの大きさに影響を与える。一方で、2007-09年の金融危機のように、中央銀行のバランスシートの大きさや構成が内生的に変化することもある。

2. 事実、ECBの証券購入プログラムは2015年3月に開始され、2016年9月には終了すると予想されている。

3. 特に、インフレ期待や、ベクター自己回帰モデルで使用されている他の変数に影響を与える可能性のある、外国からの変化を我々が抽象化していることに注意してほしい。

4. ガンバコルタら(Gambacorta et al., 2014)は、ほとんどの先進国において、金利がゼロ下限である時の中央銀行のバランスシートの外生的な増加は、経済活動と消費者物価の一時的な上昇をもたらすが、物価水準への影響はより弱く、持続性が低いと推定している。