金融経済における物価安定化装置の最大化(1)

MACROECONOMICS

金融経済における物価安定化装置の最大化(1) ウォーレン・モズラー

訳者からの注意

本Webページは、ウォーレン・モズラー氏の2016年における論文「Maximizing Price Stability in a Monetary Economy」を日本語訳したものである。この論文はPDF文書1枚に収められているが、その日本語訳をWebページとして作成するにあたっては4つに分けた。その分、各ページの容量は少なく、容易にアクセスができるようにしてある。一方で読者諸君にはページ間を移動するというお手数をおかけする。その点、ご容赦願いたい。

目次

概要

本稿では、欧州中央銀行(ECB)が、自身の唯一の責任である物価安定を達成するための手段を分析する。物価安定のための有効な手段について、短期・長期の安定性と揮発性の両方について説明と分析をし、表にしている。我々は、物価安定を促進するための新たなツールを紹介する。また、ECBが直接管理する代替的なバッファーストック政策を選択することが、公共の目的に最も適していると結論付ける。

キーワード:欧州中央銀行;金融政策と物価安定;バッファーストック政策

1. はじめに

欧州連合機能条約の第127条は、欧州中央銀行(ECB)の第一の目的が、物価安定の維持であることを定めている。「完全雇用」や「均衡のとれた経済成長」などといった、欧州連合条約の第3条に定められた目的に関連するその他の政策目標は、「物価安定目標を損なわない」範囲内で、ECBによって支えられている。

同条約は物価安定の意味を正確に定義していないが、ECBの運営理事会はそれを「ユーロ圏の消費者物価指数の前年比上昇率を、中期的に2%以下に維持すること」だとしている。

中央銀行はユーロのマネタリーベース(紙幣と銀行準備)の独占的な供給者である。中央銀行はこの独占権をもってして、銀行が中央銀行から借り入れをする条件を設定しているのである。中央銀行はそれによって、貨幣市場の流動性を管理するとともに、銀行同士が市場で取引する条件(貨幣市場金利)にも影響を与えている。

短期的において、中央銀行の政策によって誘導された貨幣市場金利の変化は多くのメカニズムや行動を引き起こし、最終的に、非常に複雑な伝達メカニズムを通じて、生産や物価などの経済変数の動向に影響を与えると推定されている。

図1:欧州中央銀行の運用フレームワーク 出典: https://www.ecb.europa.eu/mopo/intro/transmission/html/index.en.html

しかし、物価安定を達成するために適切だと思われている短期金利目標の設定は、ECBが目的を達成するために使用する唯一の金融政策ではない。

さらに、上の図のような運用フレームワークには、希望する金利の期間構造と経済への伝達を、一般的に銀行システムを通じて変更するために利用できる、一連の手段と手続きが含まれている。これを達成するために、ECBは、

(i) 貴金属だけでなく、あらゆる通貨を無条件(即座かつ急進的)で、あるいは買い戻し契約に基づいて売買し、あらゆる種類の市場性のある商品(したがって主権通貨を含む)を貸し借りするだろう。また、

(ii) 信用機関やその他の市場参加者との間で、十分な担保に基づいて貸出を行う信用業務を行うだろう。

中央銀行の運用効率は、金融政策の目的を可能な限り正確かつ迅速に短期の貨幣市場金利に反映させるための、運用フレームワークの能力の関数である。

それが成り立つためには、以下2つの前提条件がなければならない。一つ目は、ECBに義務付けられている物価水準が金利政策の関数であるということである。第二目は、「とにかくインフレを安定させることで、経済活動を可能な限り潜在的なものに近づけることができる」という、より一般的な考え方である。したがって政策立案者は、物価安定という唯一の責任に焦点を当てることで、一つの政策によって同時に望ましい水準の生産と雇用を促進することになる。そして、安定的なインフレと潜在的な生産高との間に実証的な比例関係は確認されていないかもしれないが、理論的な因果関係は、第一の政策の焦点が物価安定であることを十分に正当化すると考えられている。

第二の前提は、「インフレは(ECBの政策変数である)金利の期間構造の関数である一方で、金利はインフレ期待を介して働き、インフレはインフレ期待の関数である」という推定である。つまりそれの前提によれば、金融政策が経済主体の将来のインフレ期待を誘導しているのである。そして、同じ目的のために、独立性と支払能力が高い中央銀行は、物価安定に対する期待の固定化を促す。したがって、中央銀行の政策は、経済主体がインフレの上昇を恐れて物価を上げたり、デフレを恐れて物価を下げたりすることがないように、物価安定に対する期待を固定化し、それによって物価安定を継続的に促進するように設計されている。

このプロセスに不可欠なのは、「(循環的な)低失業率が賃金上昇のための圧力を高めることでより高いインフレ期待を促進し、また、高失業率が賃金圧力を低下させることでより低いインフレ期待を促進する」ということを前提とした失業率である。事実、NAIRU(失業非加速インフレ率)と呼ばれる(構造的な)失業率の推定値があり、実際の失業率がそれ以下になるとインフレが加速すると推定されている。したがって、物価安定のための政策は、その最低失業率を決定し、実際の失業率がその最低値以上にとどまるように政策を実施することに向けられている。

2007年に始まった危機下のマクロ経済の動きは、ユーロ圏における物価安定の責任を追求するためにECBが使用した手段に加えて、インフレ目標に関する主要な議論の両方に疑問を投げかけた。さらにそれ以後、失業とインフレの関係も問われている。

危機が始まって以来、多くの先進国において、トレンドと解離した度重なる大幅な生産高の減少や、それに並行する失業率の急激な上昇にもかかわらず、インフレ率は危機以前のそれに近い値で推移している。それ以前には、これほどの生産ギャップの拡大があれば、それまでに観測されたものより遥かに急速かつ大幅なインフレ率の低下と、頑強なデフレが発生すると想定されていた。危機における生産ギャップとインフレとの間に弱い相関関係しかないことは、義務としての物価安定が、生産ギャップの望ましくない大規模な拡大と、同時に存在してしまう可能性を示唆している。

さらにこの危機は、(義務化された物価安定を達成するための主要なツールである)名目政策金利が「ゼロ下限」と呼ばれる水準に達し、それによって、名目政策金利を引き下げる中央銀行の能力が制限される可能性を示唆している。その結果、数々の中央銀行が、物価や生産量に影響を与えるために、量的緩和・目標のある緩和・マイナス金利・新たな形態の流動性供給など、今までの慣習には無い政策を実験的に行ってきた。例えば2015年1月22日、ECBはユーロ圏のインフレ率をゼロ近傍から中期的に目標値2%に引き上げるために、2年間で少なくとも1兆1400億ユーロ分の証券を購入するなどの量的緩和策を発表した(Micossi 2015)。

しかし図2が示すように、このプログラムは、物価安定を達成するために必要だと推定されているインフレ期待に、影響を与えることができないように思われる。実際、ユーロ圏で量的緩和が実施されて以降、(EBCが重要な決定権を持っている)ECBのバランスシートの変化と、2年先のインフレとの乖離が拡大している。

図2:ECBのバランスシートの変化と2年先のインフレ予想 出典: https://www.ecb.europa.eu/mopo/intro/transmission/html/index.en.html

物価安定と希望する生産・雇用の水準との間に相関関係がないことから、中央銀行が明示的に目標を設定して活動することを提唱する論者(例えばBlanchard et al.2013)もいる。そこでは連邦準備制度理事会とイングランド銀行の責任が引用されている。これには、物価安定と同等の重要性を持って扱われている、雇用の責任が含まれる。しかし、2008 年以降、米英両国の経済活動はユーロ圏を上回っているが、その差は中央銀行の政策にあったと断定するには程遠い。

本稿ではまず、物価安定やその他の付随的な目的を達成するためには、不換通貨(ユーロなど)が最終的かつ必然的に、管理されたバッファーストック政策に依存することを論する。バッファーストック政策の一般的な歴史は、実は聖書の時代まで遡る。本稿は、穀物・貴金属・その他の通貨を物価安定のためのバッファーストックとして活用した政策や、失業者の労働力や余剰生産能力全般のバッファーストックを物価安定のために活用している現在の政策など、様々な政策を検証する。これには、バッファーストック政策を管理するために使用される政策ツールのベクトル自己回帰(VAR)分析、及びそれらの政策に関連する費用便益分析が含まれる。

我々は、欧州連合条約第127条に記載されているようなECBの主要な目的である物価安定にとって、固定賃金を採用したバッファーストック政策が間違いなく効果的だと結論付ける。また付随的にこの政策は、欧州連合条約第3条に定められた欧州連合の目的の達成に寄与するものでもある。具体的に言うと、我々はECBに対して、目標の遵守を最適化するために、雇用バッファーストック政策を採用することを提案する。

本稿には10の節がある。第2節では本稿の目的を述べ、第3節では代替となるバッファーストック政策の選択基準を示す。第4節では現在の金融政策について論じ、第5節ではその影響についての実証的証拠を示す。第6節では労働バッファーストック政策を現行政策と比較し、第7節では雇用バッファーストック賃金の役割と運用について述べる。第8節では労働バッファー・ストック政策についてさらに検討を加え、第9節ではこの政策の費用と便益、及びインフレと成長率に起こり得る影響を評価する。最後の節で本稿の結論を示す。

2. 目的の表明

本稿の目的は、第一に、固定賃金で雇用された労働者をバッファーストックとして利用する政策が、商品を利用するバッファーストックよりも優れた物価アンカー(錨)として機能することを示すことである。さらに、雇用された労働者のバッファーストックが、失業者のバッファーストックを利用して物価を安定化させるECBの現行政策よりも優れた物価安定を提供することも示す。

a.バッファーストック政策の定義

我々はバッファーストック政策を、「物価安定を促進することを目的として、商品や通貨を支援価格で買い、同時にそれを同じ価格または少し高い価格で売る政策」と定義している。競争の激しい市場経済における価格は、無差別水準としても知られている、相対価値を反映して継続的に調整される。バッファーストック政策は、ある一つの価格(バッファーストックの価格)を設定し、他の全ての価格が相対価値を反映することを許容する。

このことは、バッファーストック政策の対象物が常に支援価格で貨幣化できることを意味する。その意味で、バッファーストック政策の対象物が、常にその価格で金融当局に「売られる」ので、常に「完全雇用」と呼べるものであることに注意してほしい。

b. 脆弱性

バッファーストック政策は2つのリスクに直面する。第一のリスクは、支援価格が、その価格で購入された対象物の(需要と供給のグラフ上の)供給量と数量の好ましくない増加をもたらすことだ。支援価格の目的は、商品や通貨が支援価格よりも低い価格で交換されることを防ぐことである。それ故に「支援価格」という名称が付けられているのだ。さらに、そもそも政府がその価格でバッファーストックを購入できるのは、その商品や通貨の相対価値が支援価格と同等、またはそれ以下であると市場が判断しているからである。つまり、支援価格での購入は、政府の介入が無い場合におけるその商品の需要と供給の交点よりも支援価格が高いことを示している。そしてこの市場価格の上昇は、供給曲線が上向きに傾斜している範囲内で供給量を増加させることになる。

図3:「支援価格」を含めた均衡 出典: http://www.colorado.edu/Economics/courses/econ2020/section4/gifs/fig39.gif.

図3において、市場はDとSの交点で価格と数量を決めるだろう。政府は、市場均衡価格よりも高い支援価格(Psupport)を固定することで均衡を(Psupport, Qs)に移動させる。その結果、選択した価格水準を維持するために、支援価格で供給余剰分を買わなければならない。

したがって潜在的な問題は、(極端な例で言うと)羊毛バッファーストックの支援価格のせいで道まで羊で溢れかえってしまう可能性があるということだ。加えて、例えば金本位制のような、(金という)バッファーストックを増やす目的で金が課税の対象物となるような政策においては、人間の努力が貯蔵する金の調達に向けられることになる。これは公共の目的を支えるものとはみなされないだろう。

2つ目のリスクは金銭的なものだ。バッファーストック政策を追求する政府には、バッファーストックの対象物を購入するための公共支出が大幅に増加する可能性が待っている。これは、その他全ての財・サービスに対してバッファーストックの対象物の価値が低下していることを証明するプロセスの一部となる。これは一般的に「インフレ」と呼ばれるプロセスである。そして、通貨自体が自らのバッファーストック(金や他の通貨など)によって支えられている固定相場制の場合、さらなるバッファーストック(穀物や羊毛など)を支えるための支出増加は、通貨当局の金や外貨準備の損失を引き起こす可能性がある。

3. バッファーストックの選択

市場経済における不換通貨の価値は、直接的または間接的にバッファーストック政策と結びついている。その通貨を扱う金融当局は、その利用可能な手法を活用して、最終的に基礎となるバッファーストックの価値を反映する一般物価水準・物価安定・その他の通貨の特性に影響を与えようとしている。

本節は、物価の安定と流動性のための潜在的なバッファーストックの選択について分析する。物価安定については名目価格を使用する。さらにここでは、外国企業が商品の相対価値を1%変化させるために過去に購入する必要があったバッファーストックの量として定義される、流動性の比較について説明する。我々は物価変動の具体的な原因を定量的に特定できないと発見したため、これは物語のみで説明する。しかし、この流動性の特定は良くても不正確ではあるが、競い合っている商品間の価格差は、有用な区別をするために十分に大きかった。

a. 揮発性

表1には、金・銀・とうもろこし・時間労働という4つのバッファーストックが示されている。また、一般的な背景情報として多数の商品を組み合わせたCRB(Commodity Research Bureau)指数も掲載されている。前者3つの商品(金・銀・とうもろこし)を選択したのは、それらが歴史的に使用されてきたからだ。また特に金については、金本位制への復帰提案など、最近の議論の対象になっているからでもある。4番目の「雇用された労働者のバッファーストック」は、失業率をバッファーストックとして活用する現行の方針から派生したものであり、4つの選択肢の分析後、比較の基準として使用される。

下の表は、バッファーストック政策の揮発性の度合いを示している。

表1:ECBのバランスシートの変化と2年先のインフレ予想 出典: ブルームバーグ

表1は、金・銀・とうもろこしの年間平均価格の変化を報告している。加えて、特定商品の価格指数の年平均変化がCRBによって示されている。この指標は、「商品バスケットの価格が時間の経過とともに、どれくらい変化したか」の代表例として表示されている。表の最後には、米国労働統計局が提供する、生産職と非管理職の年平均時給変化(average annual change in hourly earnings, AHE)が示されている。表の数値を見ていくと、商品の価格変動は、金・銀・トウモロコシに比べればそれほど大きくないように見える。しかし、年間変化率は+35%以上から約-25%となっている。平均時給は、金属や商品よりもはるかに低い揮発性を持っていると分かる。その前年比は2000年以降、1.5%程度から4%強までの間で変動しており、1980年代前半に9%強になったことは一度しかなかった。

バッファーストック政策において、バッファーストックの名目価格は国家によって定義される。我々の提案では、マーストリヒト条約で規定された物価安定のためのECBの責任に従って、ECBによって定義されることになる。その後、市場の力によって、他の価格が、バッファーストックの価値に対する相対価値を表す無差別水準を、継続的に反映するようになる。

同様に、バッファーストックの名目価格が固定されている場合、バッファーストック自体の相対価値の変化は、他の全ての価格の名目価格水準の変化として表される。したがって、現在の政策において選択されたバッファーストックの価格の揮発性が低いほど、バッファーストックの価格が(我々の提案では「ECBによって」)固定されたときに期待される一般的な物価安定が強固になる。これを前提とすると、雇用された労働者のバッファーストックの方が明らかに他より優れている。

b. 流動性

ここでの分析の目的のために、我々は流動性を「特定の量の売買による物価変動に対する抵抗力」と定義している。バッファーストックの目的は物価安定にあるが、我々は、特定の量の売買による物価変動が少ないバッファーストックが優れているとしている。我々はこの分析を省略したが、それは雇用バッファーストックの流動性が他の手法よりも桁違いに大きく、結果が自明であるからだ。

c. 時価総額

次に、価格に影響を与えるために売買される必要があるかもしれない数量の比較指標として、それぞれの潜在バッファーストックの年間販売用に提供される新規供給の「時価総額」を計算する。ここでも我々は、近年においては相対価値の安定性を示すものとしてバッファーストック政策の対象物でなかった、金・トウモロコシ・労働者の価格に、特定の購入がどのような影響を与えるかを観察する。

約1億7000万人のヨーロッパ人が平均で時給21ユーロで週35時間で働いていると仮定すると、彼らの所得は週約1100億ユーロ、年間約5兆5000億ユーロとなる。

一方、世界の金の年間採掘量は約2,500トン、8000万オンスである。1オンス966ユーロであるから、年間売上高は772億ユーロに相当する。1ブッシェル(体積の単位の一つ)あたり3.5ユーロで140億ブッシェルのトウモロコシを生産した場合、年間売上高は492億ユーロにしかならない。したがって、我々は「時価総額」という尺度に基づいて、雇用された労働者のバッファー・ストックがユーロの優れた物価アンカーになると結論付けている。

以上の分析から、歴史的な物価の安定と流動性との両面において、雇用された労働者のバッファーストックが圧倒的に優れていることが分かる。加えて現在の社会経済的現実を鑑みても、労働者のバッファーストックは、バッファーストック政策の第一の伝統的なリスクの対象とはならない。つまり、金本位制・銀本位制が新たな採掘や鉱脈の探査を誘発したり、トウモロコシのバッファーストックがトウモロコシの余剰を増加させたりするのとは違い、暫定的に労働者を雇用してもそれに見合った人口の増加は起こりそうもないということだ。

またさらに分析すると、雇用された労働者のバッファー・ストック政策に関連した支出は、変動相場制の政府に財政的な支払い不能リスクをもたらすものではない。