MACROECONOMICS

第 22 章 財政余地と財政の持続可能性

目次

学習目標

  • • 財政余地の概念の理解を深める。
  • • 財政の持続可能性の概念の理解を深める。
  • • 変動為替相場が財政余地を最大化する理由を明確にする。
  • • 変動為替相場を採用している主権通貨発行者が、予算に対して機能的財政アプローチを追求できる理由を明確にする。
  • • 主権通貨を発行する政府は、公的債務の持続可能性に関する危機に全く直面しないことを認識する。

22.1 はじめに

この章では、MMTの原理と一致する財政の持続可能性の概念を策定するために、第20・21章の議論をまとめる。我々はその概念を、財政余地の概念と比較する。財政余地とは、通貨発行政府の財政赤字を実行する能力に財政的制限があると断言するために、IMFなどの国際機関が使用している概念的枠組みだ。

我々は、財政余地と財政の持続可能性の概念を理解することができる唯一の有意義な方法が、現実の資源の利用可能性の観点から物事を見ることであることを示す。

財政の持続可能性、財政の健全化、緊縮財政、予算の補正などの用語がほぼ毎日メディアに存在することを考えると、良い財政政策を設計する際には、財政赤字の限界とは何かを政府が理解することが重要だ。

主流派経済学が求める財政的責任は、「通貨発行政府は限られた財源しか持っておらず、債券市場の貸し手をなだめ、『資金不足』のリスクを緩和する政策的立場を維持しなければならない」という誤った前提に基づいている。

本章では、彼らの推測が主権政府にふさわしくないことを示す。MMTはむしろ、一貫した完全雇用の財政赤字条件という概念を提供する。それは責任のある政府は追及するものである。その責任の考え方の上では、より大きな赤字やより小さな赤字を追求する。あるいは、いくつかの状況下でさえ、黒字は政府の関心事にならない。

MMTフレームワーク内の財政の持続可能性は、政府が何らかの公的債務対GDP比や財政赤字対GDP比の観点から純粋に指定された目標を達成するためではなく、財政能力を活用して完全雇用と物価安定を維持するために使用されるべき考え方だ。

最後に我々は、専門的な説明を行い、「完全雇用を維持するための財政政策への依存は、財務省債務対GDP比率の上昇につながり、最終的には持続不可能になる」という主張に反論する。

22.2 完全雇用の財政赤字条件

ではまず、開放経済において政府支出や課税がなければ、経済活動の水準(生産)は、民間国内支出(消費と投資)と純対外支出(輸出 - 輸入)によって決定されるということを観察することから説明を始めよう。もしその経済の中で支出が減っていけば、経済活動全体は活発ではなくなっていくだろう。

現在の生産性水準で仕事を希望する全ての労働者に、(労働時間の面で)十分な仕事を提供するほどの生産水準を、支えるほど総支出が十分ではない場合、支出ギャップが発生する。つまり、完全雇用下で支出ギャップは存在しないのだ。したがって、機能的財政の観点から見ると、政府の財政政策の役割は、支出ギャップがない状況を確保することだ。

非政府支出が完全雇用を達成する水準から低下した場合、支出ギャップが生じる。そして、それを解消できる唯一の方法が、(直接政府支出や、非政府支出を奨励する減税による)純支出を増やすための介入であることは明らかだ。

第15章で概説した支出・生産アプローチに則ると、総需要に追加される支出フローの発生源は、次の通りであると分かる。

家計消費(C)

民間投資(I)

政府支出(G)

輸出収入(X)

(この節では、経常収支から純利益フローと純移転を抽出していることに注意してほしい。)

支出フローによって創造される(生産に関わる資源の所有者に対する支払いである)所得は、以下の方法で使用できる。

純納税移転(T)

家計消費(C)

家計貯蓄(S)

輸入支出(M)

疑いもなく、所得の発生源は、その支出と必ず等しくなる。このことは、国民勘定を支える慣習だ。

これにより、所得創造の2つの側面は、次のように記述できる。

(22.1)C + I + G + X = C + S + T + M

さらに、両辺からCを差し引くと以下のようになる。

(22.2)I + G + X = S + T + M

式(22.2)の左辺は支出フローへの外性的注入を、右辺は所得の流れからの流出を表している。注入は経済における新たな支出を構成し、一方、流出は国民所得の変化によって誘発され、総支出を排出させる。

(22.2)の両辺は、国民所得の調整(すなわち、支出の変化による総計レベルの活動の変化)によって等しくなる。

例えば、もし( G と X は一定で) I が上昇した場合、総支出が増加し、企業は新しい注文に応えて、生産量を増やすように刺激される。そうすることで、彼らは雇用を増やし、所得の増加が第15章で説明した支出乗数プロセスを発生させる。

所得の受け手は追加された所得を、さらなる貯蓄(S)・納税(T)・輸入品(M)・消費に回す(もし税率が変わっていなかったとしても納税額は増えているだろう)。

投資(G と X を一定に保つ注入)の変化が S と T と M (流出)の変化の合計に等しくなると、経済は再び拡大しなくなる。それゆえ、所得の注入が所得の流出と等しい時、新しい(所得の拡大が停止する)均衡点が定まる。(支出の注入によって)均衡点が揺れ動いている時はいつでも、国民所得は、総所得に敏感な流出(式(22.2)の右辺)を新しい総注入水準(式(22.2)の左辺)と一致させる。その点が均衡点である。

ここでは3つの点に注目すべきである。第一に、必ずしもその「均衡」点が完全雇用をもたらす訳ではないということだ。経済システムは、失業率が高くなっても、劇的に低い水準の注入に適応し、均衡点に達する。ケインズは(それ以前ではマルクスも)、非常に高い失業率が発生させつつも経済が均衡点に達する可能性があり、介入(財政政策による刺激)が行われない限り、その状態が維持されてしまうことを明らかにした。

第二に、経済が高い失業率を伴い均衡している場合、総需要の不足をもたらしている支出ギャップが必ず同時に存在している。非政府部門の支出が弱体化しているならば、政府支出の増加(G)による注入は、純納税移転(T)によって増加した排出(流出)を相殺する以上のものでなければならない。つまり、非政府部門の支出ギャップがあるのだから、財政赤字が必要なのだ。

第三に、これは、財政赤字が常に必要であることを意味しない。継続中の財政赤字をさらに継続させるべきかは、もう1つの条件を見て判断する必要がある。もし財政赤字発生時に非政府部門が「純貯蓄」を望んでいる場合、すなわち、特定の水準での経済活動で I + X < S + M の場合、(あらゆる失業率で)活動水準を継続的に維持できる唯一の方法は、G > T であることだ。つまり、一定レベルの活動を維持するには、財政赤字が継続的に必要なのだ。

この先の事例において、財政赤字は、望ましい水準の純貯蓄と所得を生み出すのに十分な需要を維持することによって、全体として貯蓄するという(国内と外国の)非政府部門の欲求を「賄う」ことをしているのだ。

機能的財政は、責任ある財政政策が満たすべき条件が2つあるとしている。第一に、財政状態(赤字か黒字か)は、「貯蓄と投資の差」から「輸出と輸入の差」を引いた値と必ず一致する。

すなわち、

(22.3) (G - T)=(S - I)-(X - M)

である。

国民所得が均衡するために、財政赤字(G - T)は、(国内需要を排出させる)貯蓄が投資を超えた分から、(需要を増やす)輸出が輸入を超えた分を差し引いた値に等しくなるだろう。

もし式の右辺 (S - 1) - (X - M) > 0 が全体的に黒字であるならば、非政府部門は全体的に純貯蓄を得て、財政赤字がその黒字を相殺した時のみ国民所得の水準がこの水準に落ち着く。この純貯蓄の概念が、可処分所得に含まれる家計貯蓄よりも広いことに注意して欲しい。

式(22.3)の右辺における黒字は、(S - I) > (X - M)(つまり、純輸出黒字より大きい国内民間部門の純貯蓄)から生じ得る。あるいは、需要に追加される国内民間部門赤字(貯蓄以上の投資)を超える、(需要の流出させ、外国の貯蓄を増加させる)純輸出赤字に関連している可能性がある。

第二に、我々は既に、国民所得の均衡水準が、完全雇用への要求を同時に満たせないであろうことを留意した。我々は国民所得の完全雇用水準を、労働者・その他の生産的資源の所有者の選好に応じて、全ての資源が完全に利用された時に成り立つものとして定義できる。

S と T と M の全てが国民所得水準と正の相関関係にあることを考えると、完全雇用において定義されるこれらのフローには、それぞれ固有の水準が存在する。行動の変化(例えば、所得1ドル当たりの貯蓄意欲の増加)は、その「固有の」水準を変化させる。だが、特定の行動の選好と係数に対して、我々はそれぞれの完全雇用水準を定義できる。

我々は S(Yf) と M(Yf) を、国民所得が完全雇用水準 (Yf) である時に発生する、貯蓄と輸入のフローであると定義する。また我々は、より高い水準の生産が特定の技術への投資に対するインセンティブの増加をもたらすように、投資が国民所得に敏感であると考えている(投資の加速度理論については第25章では議論する)。よって I(Yf) は、完全雇用時の投資フローとして定義することができる。我々は輸出支出を、外国の所得水準によって決まるものと考えている。

さらに我々は、純納税移転(T)が(財政政策の自動安定化機能の存在によって)経済の循環に敏感であることに注目する。すなわち T(Yf) は、現行税率と移転政策の決定を考慮した場合の、経済が完全雇用状態にある時に政府が受け取る税収として定義できる。

したがって、完全雇用をも維持する均衡国民所得の条件は、次のように書くことができる。

(22.4) {G - T(Yf)} = S(Yf) + M(Yf) - I(Yf) - X

この等式は、我々が完全雇用の財政赤字条件を表現する時に使用するものである。

項 S(Yf) と M(Yf))の合計は、完全雇用時の総需要からの排出を表す。また、項 I(Yf) and X の合計は、完全雇用時の支出注入を表す。

もし式(22.4)の右辺における排出が式(22.4)の右辺における注入を上回る場合、財政赤字 [G - T(Yf)] が非政府部門の支出ギャップを相殺するのに十分であれば、完全雇用が達成される。もしその財政赤字が十分でなければ、完全雇用は達成されない。

一方、もし総支出が、完全雇用時の生産を発生させる値を超えるものであれば、商品在庫が枯渇し、物価は上昇傾向となるだろう。もし政府が、総需要が生産能力を超え続ける(そして、それが物価水準の継続的な上昇をもたらす)と予測する場合、インフレ圧力を軽減するために、政府は純政府支出を削減するかもしれない。

この意味で、MMTの原理は、厳格な財政規律を示している。完全雇用と物価の安定を政策目標するならば、財政赤字をそれに適したものにしなければならない。

22.3 財政余地と財政の持続可能性

前節の議論は、財政の持続可能性という言葉の意味を理解するのに役立つ。財政の持続可能性と財政余地の概念は、経済学の文献で十分に議論されている。問題は、一般的にそれらの文献が「政府は、自分ではどうすることもできない財政上の制約に縛られている」という前提で議論をしていることだ。

IMFは財政余地を次のように定義している。

財政状態と経済の持続可能性を危うくすることなく、希望の目的に使用する資源を購入するための、支出拡大ができる政府予算の範囲。この考え方は、「追加の資源が有益な政府支出に利用できるようになるためには、財政余地が存在するか、創造されていなければならない」というものだ。政府は、増税、外国からの補助金の確保、優先度の低い支出の削減、(自国民や外国の貸し手からの)資金の借り入れ、銀行システムからの借り入れ(そして、それによるマネーサプライの拡大)によって財政余地を作り出すことができる。だが政府は、債務を返済する能力を保ちつつ、短期及び長期で望ましい支出計画に資金を提供できるように、マクロ経済の安定性と財政の持続可能性を損なうことなく、これを行わなければならない。

このIMFの様々な定義は、財政政策に制限を設けるために、政府機関や国際機関によって広く使用されている。

その定義は、財政の持続可能性を、全体的な経済状況を広範に考慮して評価するのではなく、財政赤字対GDP比や公的債務対GDP比などの財務指標の不正確な閾値によって評価している。その意味で、狭く曖昧である。政府が持続不可能になる公的債務比率を定義する合意や一貫した研究は、未だ存在しない。

最も重要なのは、その定義が、「通貨発行政府は、企業や家計が抱えているのと同様の、いくつかの財政的制約に縛られている。最終的には、政府の支出する能力や未払いの金融負債を返済する能力は、債券市場が現実的な金利で資金を貸し続けるかどうかに左右される」と仮定している点だ。

既に学んだように、不換通貨制度下では、これらの財政余地の概念は以下の2つの重要な点を無視していることになる。

• 主権政府は収入に制約されない。つまり、財政面では財政余地を定義することはできない。

• ある国の主権政府の資源動員能力は、その国で利用可能な現実の資源(労働者・天然資源・生産能力・ノウハウ)にのみ左右される。

主権政府に資金不足の危険が無く、(政治的理由で約束された支払いを満たさない場合を除き)常に支払能力があることを考慮すれば、財政の持続可能性(および財政空間)の概念は、IMFなどの組織が焦点を当てている、標準的な財政比率(例えば、公的債務比率)によって定義されない。

MMTの視点によると、最も優先順位の高い主権政府の責任は、完全雇用と安定した物価を維持する観点から構築されなければならない財政の持続可能性の概念を通じて、公共の目的と福祉を追求することだ。完全雇用の財政赤字条件は、この点で政策立案者に目標を提示する。

財政の持続可能性の概念では、いくつかの考慮事項が重要となる。

公共目的の向上

ひとたび非政府部門が将来の期待に基づいて支出(及び貯蓄)の決定を下すと、政府はこれらの民間の決定を完全雇用という目標と一致させなければならない。

通常、景気循環の過程において非政府部門が純貯蓄(発行通貨での金融資産の蓄積)を望んでいることを考慮すると、これは、同じ循環の過程で、中央政府によってのみ埋めることができる支出ギャップが平均して存在していることを意味する。政府が赤字になる時のみ、「黒字になりたい」という非政府部門の願望が達成される。

その時政府は、完全雇用の財政赤字状況を保つべきである。我々はその財政赤字を「良い」ものとして捉える。なぜならそれが、非政府部門の貯蓄選好を助け、働くことを望む全ての人々の雇用を維持する、経済活動の水準に結びついているからだ。

逆に言えば政府は、政策的な目標として不況(永続的な失業と不完全雇用)を、つまり、小さな財政赤字、時には財政黒字を維持することも可能である。しかし、この戦略を採用すると、財政支出不足(デフレ圧力)が経済にもたらされ、最終的には、企業の生産と収入が減り、税収の減少と社会保障支出の増加によって財政赤字が増えることになる。言い換えれば、政府の赤字を削減しようとすれば、実際には経済が大幅に減速し、より大きな赤字が発生するのだ。

究極的には、支出ギャップは自動安定化装置によって縮小していく。なぜなら、国民所得の減少は、会計構造である部門収支の恒等式が維持されるように、流出(貯蓄・納税・輸入)が注入(投資・政府支出・輸出)と等しくなることを確保するからだ。だが一方で、その時点では、少ない雇用と多くの失業が発生しているだろう。その結果として生じる財政赤字は、経済の悪化と失業率の上昇によって引き起こされているため、我々はそれを「悪い」赤字と呼んでいる。

それゆえ財政の持続可能性は、政府が、完全雇用という目標と両立する「良い」財政赤字を運営することを必要とする。その目標に反するあらゆる財政戦略は、完全雇用と矛盾するという意味で、持続不可能だ。

ここでは、我々が「通常の」ケースでは、政府が赤字になるように非政府部門が全体として黒字を望んでいると想定していることに注意してほしい。一方でいくつかの国では、十分に大きな経常収支黒字が発生し、「通常の」政府収支と国内民間部門収支の両方が黒字になっている。

貨幣環境を理解する

財政の持続可能性に関するあらゆる概念は、政府が運営している貨幣システムの本質的な環境に必ず関係していなければならない。金本位制下の政府に適用される論理を使用して、不換貨幣制度下の政府の行動について説明することは、意味をなさない。

金本位制が中央政府に課す制約(固定相場を維持するために財政・金融政策を運営しなければならないという制約)は、不換貨幣制度下の中央政府には全く適用できない。

不換貨幣制度下の政府が自発的に金本位制時代のような制約を自分に課すことは、あり得る。彼らは、財政赤字と公的債務の発行を等しくする制約、財政赤字の大きさを制限する制約、ある一定期間における政府支出の大きさを制限する制約、政府債務残高を制限する制約を自分に課すかもしれない。

これらの制約のうち、不換貨幣制度下の政府に適用できるものは一つもない。一般的に、これらの制約は、「経済における政府の重要性を低下させたい」という欲求を往々にして含む、人々のイデオロギー的義務感を反映したものだ。

したがって、主権政府における財政の持続可能性の概念に則って考えれば、あらゆる自発的な制約は全く正当性のあるものではない。本質的にこれらの制約は、完全雇用を確保する政府の責任を、意味のない財政的制約を遵守する責任に従属させてしまう。

主権と変動相場制の放棄や、金本位制や固定相場制の採用は、全て政府の自発的な決定によって行われることであるということに注意してほしい。

主権政府とは何かを理解する

既に学んだように、主権政府はいつでも支出でき、支出を賄うための非政府部門から借入を行わなくても良い。発行された貨幣を使用する非政府部門の特性とは極めて対照的な特徴を持っている。非政府部門は支出の前に、所得を得たり、貯蓄をしていたり、借入や資産を売却したりして、資金を手に入れなければならない。彼らは永久的に赤字を維持することはできない。我々が説明したように、これらの制約は、不換貨幣制度下の主権政府には決して適用することができない。

「財政黒字が望ましい」という観点から財政の持続可能性を定義することは、もし政府が黒字ならば必ず非政府部門が赤字になっているという現実を見落としている。逆に言えば、もし非政府部門が黒字ならば必ず政府は赤字になっている。

国家が海外との取引で黒字になっていない場合、政府の黒字は常に民間の赤字を反映しているだろう。これは実行可能な成長戦略にはなり得ない。なぜなら、(資金調達の制約がある)民間部門は継続的に赤字(及び負債の蓄積)を抱えられないからだ。最終的に、財政支出不足は、民間部門が不安定な借金を減らすために貯蓄する状況をもたらし、経済を不況に叩き落とすだろう。

したがって、財政の持続可能性の概念には、どの非政府機関にも利用できない様々な可能性を持つ、財政的制約のない政府が概念化されている。

さらに、一般的に非政府部門が通貨の純貯蓄を望んでいることを考慮すれば、主権政府は継続的に財政赤字でなければならない。これらの赤字の適切な規模は、完全雇用の財政赤字条件によって決まるだろう。

政府が課税する理由を理解する

第20章と第21章では、「非政府部門が、法的強制力のある納税義務を解消するのに必要な資金を手に入れるために、財・サービスを政府部門へ提供すること」、そして「課税がそれを促進すること」を学んだ。

このような方法で、課税は非政府部門に失業(有給労働を求める人々)を生み出す。我々は課税を、政府支出で埋めなければならない現実の資源余地を(非政府部門の購買力を減らすことによって)作り出すものとして捉えることもできるだろう。課税によって作られた現実の資源余地は、非政府部門から政府部門への財・サービスの移転を可能にする。それは政府の経済的・社会的事業の遂行を促進する。

課税は、(労働者を含む)遊休資源を発生させるという影響を経済にもたらす。政府支出は、それらの資源を公共の分野に配置する。民間部門から資源を奪い、それを公的部門で雇用する必要がある場合を除き、政府が税金を課して失業を引き起こす意味はない。

納税義務を果たすために必要な資金は、政府の支出によって非政府部門に提供される。したがって、政府支出は、課税によって発生した失業を相殺する、有給の仕事を提供していることになる。もし G < T ならば、非政府部門は流動性の面で苦しめられ、資産を切り崩さなければならない。そうなれば通常、不況がやってくる。

非政府部門が計算貨幣を獲得したいと望む一方、それを全て支出したくないと考えている時、失業は発生する。結果的として、財・サービスの売り手が被った意図しない在庫の蓄積は、生産量と雇用の減少につながる。

明確な結論は、政府の純支出が小さ過ぎて非政府部門が納税と所得の一部の貯蓄を達成できない場合に、失業が発生するということである。

したがって、財政の持続可能性の概念は、「非政府部門の純貯蓄に対する願望を満たすための継続的な財政赤字は、将来の増税によって『返済』する必要がある」という考え方を拒否する。

ある期間における財政赤字は、その後のある期間において返済される訳ではない。生産能力に関連する総支出の全体的な状態に応じて、将来の課税は変化する。あるいは一定かもしれない。税率に関するこれらの将来の決定は、政府支出の「資金」とは関係ない。

政府が負債を発行する理由を理解する

我々は既に、主権政府が支出をする前に非政府部門に対して債務を発行する必要がないことを学んだ。第20章と第21章では、中央銀行が(公開市場操作を通じて)望ましい目標金利を中心に金利を安定させるための手段として公的債務を使用すしていることを説明した。

実際、主権政府は全く債務を発行する必要がない。中央銀行は、継続的な財政赤字によって発生した商業銀行の超過準備に対して、競争的な金利を支払うだけで、ゼロ以外の政策金利を維持することができる。

言い換えれば、財政赤字額と非政府部門への債務発行額を一致させること必須ではない。むしろそれは、政府支出に課せられる制約に関する過去の習慣と現代のイデオロギー的見解を反映しているのだ。もし政府が、あらゆる支出する前に債務を発行するよう制度的取り決めによって強制された場合、公的債務の蓄積に対する世論の批判が、支出にブレーキをかけてしまうだろう。そのため、政府が公共目的を進展させる責任を果たしているかどうかを判断する上で、実際には重要ではないにもかかわらず、世間の議論は公的債務比率に焦点を当てている。

それゆえ、財政の持続可能性の概念は、債務の発行と純政府支出を結びつけない。財政赤字に合わせて債務を発行する必然性はない。財政赤字と債務発行を結びつける、政府による自発的な決定は、不換貨幣制度の本質に基づいているものではない。

財政目標の設定

財政目標を設定することは、政府にとって困難だ。なぜなら、最終的な財政の結果は、政府が設定する裁量的支出と税率、及び非政府部門の支出選択に左右されるからだ。

厳格で性急な債務・財政赤字・支出の制限が設けられているかどうかで、財政の持続可能性を定義してはならない。むしろ政府は、完全雇用を達成する総需要を維持できるような、純支出を継続することに集中しなければならない。もし現実の目標(完全雇用)が達成されれば、財政収支はそれに従って変化し、持続可能なものになるだろう。

外国からの影響

もし外国人が政府債務を購入すれば、その政府は外国からの信用リスクにさらされるようになると、世間では考えられている。しかし、この懸念は誤解である。

第24章では、ある国が赤字の他国によって発行された金融資産を蓄積したい場合、その国は輸入よりも多く輸出しなければならないことを説明する。例えば、中国国民は資産構成をドル建て資産で形成することを望んでいるため、中国はアメリカに対して経常黒字である。それが、ある国が他国の通貨で純資産を蓄積するための、唯一の方法だ。

外国資産の保有者は、その資産の一部を、例えば、アメリカの国債で保有することを望むかもしれない。だが、アメリカ政府の支出が、外国人国債保有者の選好に依存しているという訳ではない。主権政府は、「外国債券保有者が、自らの貿易収支をその政府の債務で保有することを選択するかどうか」にかかわらず、いつでも支出することができる。外国人に公的債務が購入されたことによっても、貿易赤字国の公的債務が誰かに購入されなかったとしても、財政の持続可能性(支出能力、及び、現実の財・サービスを変化させる能力)は損なわれない。

費用とは何かを理解する

IMFの財政余地の概念は、「何が経済的費用を構成するか」についての誤解を反映している。政府が、新しい計画に1,000億ドルを支出することを財政声明で発表する際にも、その数値は費用を反映していない。

あらゆる事業の実際の費用とは、事業の実施に必要な追加の実際の資源だ。例えば、もし政府が雇用保証を導入することを公表するのならば、事業の実際の費用は、以前失業していた労働者が享受できる追加の消費と、労働者が生産的な行動に使用する追加の資本設備だ。言い換えれば、政府の事業は、関連する名目上の金銭的価値ではなく、実際の資源の使用方法によって評価される必要がある。

したがって、財政の持続可能性は、実際の資源の利用率によって関係しているべきである。このことは我々に、公共目的を追求する上での初歩思い出させてくれる。正しい財政とは、完全雇用を一貫して達成する財政である。

22.4 債務の持続可能性に関する議論

政府の財政赤字と債務に関する議論は、債務を積み上げる絶え間ない赤字支出、及び政府債務残高対GDP比の持続可能性に向けられるのが普通である。本節では、これらの話題について検証するつもりである。しかしまた、そのモデル化の実施が、2つの理由から、主権通貨発行政府にとって根本的に誤っていることも主張する。

第一に、利用可能性自体は主権政府にとって問題になり得ない。また、政府の規模がいくら大きくなろうとも常に期日通りの支払いができるという意味で、持続可能性も問題にならない(第21章参照)。しかし、もし債務対GDP比が継続的に増加し、債務に対する利子の支払いが国民所得よりも速く上昇するならば、入手可能性は問題にならないが、その他の重要な政府支出のクラウディングアウトが懸念される。

第二に、同様に重要なこととして、経済成長の過程に関する、単純なモデル化の枠組みが間違っているのである。なぜなら、その枠組みが、財政赤字や負債の割合を変化させるような経済変動が起こる可能性を無視しているからだ。

それではこれより、赤字支出の持続可能性を評価するために使われている、一般的なモデルを検証していこう。始めに、正統派の経済学者が政府の財政制約を事前の計画手法と見なし、マネタリーベースの発行による赤字支出の資金調達はインフレを促進すると信じていることに、再び注目すべきだ。これらの議論は既に、徹底的に検討され、第21章3節においてMMTによって否定された。しかし、正統派の文献との一貫性を維持するために、次のモデルにおいては、あらゆる財政赤字が債務問題につながることにする。

我々は、ある2つの時点間に起きた、政府債務残高対GDP比の変化を測る。

時点0における政府債務残高は d0 = D0/Y0 である。D は債務残高、Y はGDPである。この式からは、GDPに対する債務残高の比率が分かる。

他の条件が同じならば、時点0における債務残高は(D0)、当面一定であると想定される利子の支払いにより、r %ずつ成長していく(つまり D0(1 + r))。ただしそれは、時点1における政府のプラマリー黒字(赤字)によって、ある程度減る(増える)だろう(その額は FS1 である)。プラマリー黒字は、税の支払いを無視した上での、税収から支出を引いた値と定義される。したがって、時点1の債務は D1 = D0 (1 + r) - FS1 である。

同様に、時点0のGDP水準(Y0)は、時点1にかけて変化する(Y1)。g をGDPの成長率である。g は一定であると仮定する。GDPは時点1にかけて Y0 (1+g) まで成長する。これは負債を相殺するものとして十分である可能性があり、そのため債務残高対GDP比は一定に保たれるか、減少する。債務・GDP水準・政府のプライマリー黒字といった、これらの重要な変数は通常、インフレ調整後の数値を使用するが、実際、そのことはあまり重要ではない。「デフレ」は単純に全ての名目値を小さくするため、名目値を使用し続けても問題はない。時点0から時点1までに起きた債務残高対GDP比の変化は ∆d = D1/Y1 - D0/Y0 である。代入と慎重な代数学的操作により、時点0から時点1までに起きた債務比率の変化に関する、以下のような最終式が得られる。

(22.5) ∆d = D1/Y1 = D0/Y0 = (D0(1 + r) – FS1)/Y0(1 + g)) – D0/Y0
= (D0(r – g)/Y0(1 + g) – FS1/(Y0(1 + g))
= (D0/Y0)(r – g)/(1 + g) – FS1/Y1
= d0(r – g)/(1 + g) – fs1

fs は黒字対GDP比を示している。

それゆえ、この分析に従うと、以下の二つの要因が、ある二つの時点間における債務比率の変化にとって重要だと推定される。

• 債務の実質金利(r)とGDPの実質成長率(g)の差が正の数か、負の数か。

• 政府が時点1でプラマリー黒字、つまり FS1 < 0 かどうか。

その時、これら2つの要因をそれぞれ組み合わせた、以下の4つの状況が存在しうる。

状況1. r > g でプラマリー赤字

状況2. r > g でプラマリー黒字

状況3. r < g でプラマリー赤字

状況4. r < g でプラマリー黒字

もし r > g で年間プラマリー財政収支が均衡あるい赤字ならば、債務比率は上昇する(状況1)。

状況2において、政府が fs* といった一定のプラマリー黒字対GDP比率になっている場合、r と g と fs* が一定のままである限り、一定のままである債務比率、d* が発生する。d* は次のように表すことができる。

(22.6) d* = fs*(1 + g)/(r – g)

だが、均衡債務残高、d* は不安定だ。例えばもし、プライマリー黒字比率が一時的に以前の数値(fs*)から逸脱した場合、たとえその後 fs が fs* に復帰したとしても、債務比率も以前の数値(d*)から逸脱し、決して d* には戻らない。

もし財務省が継続的に財政赤字だが、同時に実質GDP成長率が実質金利よりも大きい場合、すなわち g > r の場合(状況3)、分子と分母の両方が負の数になるため、式(22.6)を満たす一定の債務比率、d* > 0 が発生する。さらに、前のシナリオとは対照的に、この均衡債務比率は安定している。反対に、もしプライマリー黒字で g > r の場合(状況4)、債務残高対GDP比は着実に減少していく。

主流派経済学者は(22.5)のようなモデルを使用する。通常、彼らは、上で行ったように、重要な係数の定数値、つまり g と r と fs に基づいてモデルを解く。しかし、彼らは、支出乗数効果の存在によってGDP成長(g)と財務省の財政収支(fs)が相互依存関係になっていることを認識していない。

さらに、中央銀行は翌日物金利の設定(それは利回り曲線における基本的な金利を決める)において重要な役割を担うだけでなく、長期債務を買う能力によって利回り曲線を平らにすることもできる。したがって、彼らは債務の金利、r に影響を与えている。アメリカ、イギリス、日本、ユーロ圏のそれぞれの中央銀行は、量的緩和を通して長期金利を下げ、民間支出を刺激しようと試みてきた。

それゆえ、g と r と fs は事前に決められているものではない。これは、赤字と債務比率の間の力学に大きな影響を与える。

それでは、いくつかのシナリオを検討みよう。そうすることによって、持続的な完全雇用の達成に向けられた財政政策は持続不可能な債務比率につながる可能性が高いという、一般的な見解に反論する。

• 緩やかなインフレは、ブラケットクリープ(訳注:税制を変更していないのにもかかわらず、高所得階層が増えたために、累進課税によって税率が上がる現象)を通じて税収を増加させる傾向があるため、政府支出よりも速く成長し、赤字を削減する。多くの人は、「マイナス」の実質金利が生み出され、それによって実質成長率が実質金利を超えやすくなる傾向に気づくだろう。言い換えれば、GDP成長率は再び金利を上回り、力学を反転させる。

• 政府は財政スタンスを調整(減税・支出増)することによって、マクロ経済に刺激を与える試みを実行することができる。妥当な支出乗数・初期の債務比率の数値に基づくならば、債務残高の上昇よりも早いGDP成長によって、債務残高対GDP比は減少するだろう。政策金利を低く設定することにより、中央銀行は、債務残高対GDP比が減少しやすくし、債務力学を変化させるだろう。

• 民間部門は、政府の財政スタンスに応じて、自らのフロー(貯蓄・支出)を調整するかもしれない。もし政府が継続的に収入よりも多く支出するならば、民間部門に純資産を追加することになるだろう。さらに、政府による利払いも民間の純資産を上昇させるだろう。このような純資産の上昇は、資産効果によって追加の民間支出と低い貯蓄率を導くだろう。それゆえ民間部門は、所得に占める支出の割合を上昇させるだろう。その結果、税収の増加、民間消費の増加、「民間黒字の減少、政府の財政赤字の減少が起こる可能性が高い。爆発的に債務が上昇する状況は、発生しそうもない。そもそも、そのような状況の仮定は、「非政府部門は、自分たちの純金融資産を創造する多大な財政赤字に反応せず、自らの行動様式を決して変えないだろう」という前提に基づいてしまっているのだ。

• 最後に紹介するのは、最も議論を巻き起こす話題だ。先ほど説明した力学がどれも役に立たないと仮定すると、政府の債務比率は傾向に応じて上昇する。主権政府は、利払い不能になることを余儀なくされるだろうか。アメリカの連邦準備制度理事会で議長を務めていたバーナンキはこう言った。世界金融危機時に苦境に陥ったウォール・ストリートの投資銀行に対して行った、中央銀行によるあらゆる支出・貸出は、キーボード入力や電子的な振込によって生み出されたものだ、と。それを行うのに技術上・業務上の制限は存在しないのである。

我々は、民間の永続的な赤字支出と政府の永続的な赤字支出との間には、本質的な違いがあると結論づけることができる。前者は持続不可能だが、後者は違う。

我々は既に、政府の継続的な財政赤字が民間の資産を増やし、場合によっては債務比率を増加させることを説明した(Watts and Sharpe, 2013)。しかし、自国通貨を発行する主権政府は、債務比率が大きくなっているのにもかかわらず、満期が到来した債務を全て返済することができる。それらの支払い行為はインフレを導くかもしれない。それは、低金利政策といった政策への、政策転換を起こさせるかもしれない。またそれは、経済成長率・財政赤字・債務比率の変化を引き起こす可能性が高い、非政府部門の行動の変化を発生させるかもしれない。すなわち、国債の増加が永遠に続くことなどありそうもないのだ。

ラーナーが主張したように(第21章参照)、財政政策には機能的財政の考え方が必要だ。我々は、財政赤字や債務比率を心配するのではなく、現実の問題に目を向けなければいけない。雇用、経済成長、為替相場、自然環境の持続可能性、格差是正、その他の社会・経済的な生活水準の指標に、我々は目を向けるべきなのである。

結論

本章では、政府が財政政策の面で追求すべき厳格な条件、完全雇用の財政赤字条件を定義した。この条件を満たせば、総支出は完全雇用を維持するのに十分な水準となる。

この意味で、主権政府は財政能力を活用し、非政府部門の貯蓄願望を支援し(賄い)、最終的に大量失業と景気後退をもたらす支出ギャップが存在しない状況を確保する。

MMTフレームワークにおける財政の持続可能性は政府に、債務残高対GDP比や財政赤字対GDP比の観点から単純に導き出された目標を達成するのではなく、財政能力を使用して完全雇用と安定した物価を維持することを求める。そして、主権政府は、財政的な制約を受けないため、有害な赤字・債務の力学によって完全雇用の維持の追求が制約されることがない。

出典

IMF (2005) “Back to Basics – Fiscal Space: What It Is and How to Get It”, Finance and Development, 42(2).

Watts, M.J. and Sharpe, T. (2013) “The Immutable Laws of Debt Dynamics”, Journal of Post Keynesian Economics, 36(1), 59–84.