MACROECONOMICS

第 20 章 財政・金融政策の基本

目次

学習目標

  • • 財務省と中央銀行の役割を理解する。
  • • なぜ中央銀行による流動性管理が財政政策の実施と共同して行われるのか、そして、それはどのように行われるのかを認識する。
  • • 税制の設計は、収入を上げるのではなく、公平性と行動目標によって動機付けられるべきであることを認める。

20.1 はじめに

この章では、我々は3つのことについて話す。

1.財政政策はどのように行われているか

2.金融政策はどのように考え出されるのか

3.国家の支出を可能にするために、財政政策と金融政策はどのように連携しているのか

この章は、変動相場制の自国通貨で成り立つ経済における中央銀行と財務省の役割を、手短に考察してから始める。ここで再度強調するのは、会計原則は普遍的だが、これを通貨の利用者である家計や企業に適用する場合と、通貨の発行者である中央銀行に適用する場合では根本的に異なるということだ。

この章では政策の実践について注目する。何年も前から、「教科書の財政政策の説明」と異なる国で起こった「制度的な取り決め」の間に不一致が起こっている。アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの国々は、互いに同じような原則に従っているが、財政政策の実際には確かに違いもある。我々は財政政策の総括的で簡単な説明を提供する。

そして、中央銀行による財務省からの国債を直接引き受けを政府自らが制限していることが、「なぜ政策の結果に対して全く意味のある影響を与えないのか」ということも説明する(これについてはLavoie,2013および、Tymoigne,Wray,2013を見よ)。

その次に、近代的な貨幣制度における税の役割を再考する。変装相場制を採用する通貨は自国の政策を独立させるために極めて重要であるということを、さらに議論してこの章を締めくくる。補論では、開放経済を採用する国家における、中央銀行が取る政策について深く分析している。

20.2 中央銀行

近代的な政府は中央銀行と協調している。いくつかの国では、形式的に中央銀行は政府・財務省から独立しているが、実際には一般的に選挙で選ばれた政権が中央銀行の政策の決定者の構成員を任命し、中央銀行が決定した政策に対する拒否権を保持している。政治的に制御されていることを除けば、ほとんどの中央銀行の政策決定者(アメリカでは連邦準備制度理事会、イギリスでは金融政策委員会)はいくつかの点では政権・官僚組織から独立している。

中央銀行は翌日物あるいは銀行間取引の金利を設定する権利を与えられている。それは現代における、金融政策を実行する初歩的な道具である。これは、金融政策の立案を担当する独立した(ということになっている)組織なら、よりよい決定を下せるだろうという前提に基づいている。

実際、中央銀行の独立性は、いろんな意味で、大きくはない。例えば、アメリカの(「Fed」として知られる)連邦準備銀行(以下「連銀」)は「議会の使い」である。それは法律で定められている。確かに、連邦準備銀行は議会法によって設置されている(1913年制定の議会法)。そして、議会は定期的にFRBの運営の変更を命じている。イギリスやオーストラリアも同様に、イングランド銀行・オーストラリア準備銀行は本国の代議員制議会によって定められた法律によって設立されている。オーストラリアでは、選挙で選ばれた政権がオーストラリア準備銀行の理事を選出している。また、財務大臣はオーストラリア銀行が決定した金利の変更する政策を拒否することができる。

「中央銀行の独立性」を疑うべき理由はさらに存在する。中央銀行の金利・流動性政策の大部分は受動的である。なぜなら、その政策は民間銀行の要望を反映するだけでなく、財務省の行動にも影響されるからだ。この節では、中央銀行の行動について大まかに説明しようと思う。第23章では、中央銀行による「民間銀行の管理」「金利の調整」「最後の貸し手機能を通した準備の提供」について言及する。

ほとんどの中央銀行は「インフレ目標」と呼ばれる政策を継続している。なぜなら、多くの経済学者がそれが「低く安定したインフレ率を提供し、民間部門に自らの支出計画ににつような確かな予想を立てさせることができる」と主張しているからだ。従って、1993年以来、イングランド銀行はCPIインフレを年間2%にすることを目標とし、オーストラリア準備銀行はCPIインフレを2から3%に収めることを目標としている。アメリカの連邦準備銀行は特にインフレ目標を設定していないが、連邦公開市場委員会は2016年に、2%のCPIインフレ目標が「連邦準備制度の法定命令に適合しつつ、長期的に安定している」と宣言している。1

しかしながら、インフレ目標が経済の機能を改善させるという確かな証拠は存在しない。確かにインフレ目標を定めている国と定めていない国の経済の結果の違いを、識別することは困難である。特にそれらの国がアメリカのように広範な「インフレと即座に戦う」金融政策の立場をとっている場合、それはなおさら困難である(Ball and Sheridan,2003)。

中心の問題は、インフレ目標の設定とその達成が、マクロ経済政策の中で金融政策を優先させることになったということだ。結果として、現在の政府は受動的に財政政策を行うようになっている。そして政府は、金融政策に反しないように、在政策を不正に制限する傾向にある。これらの政策によって、各国では平均的に実質GDP成長率が低調に上昇するのみで、一方で高い失業率をもたらしている。

支払システム・準備・銀行間取引市場

ほとんどの銀行は翌日物(銀行間取引)金利の目標値を公表することによって金融政策を行なっている。実際、中央銀行は翌日物金利を、狭い目標範囲の内に収める戦略をよく取る。中央銀行はこの戦略を達成するために、以下のようないくつかの違った金利を使用する。

・銀行間取引金利(アメリカでフェデラル・ファンド金利と呼ばれるもの)。銀行が他の銀行が準備が足りなくなった時に、それを翌日物(翌日を返済する期日とする貸出)として貸し出す時に発生する金利。

・割引金利。中央銀行が民間銀行に準備を貸し出す時に、中央銀行が民間銀行に提示する金利。

・(中央銀行当座預金における)預金金利。中央銀行に保有する準備に対して支払われる金利。

一般的に、中央銀行の目標は銀行間取引金利である。中央銀行はその金利を直接設定することなく、割引金利を操作して目標金利に金利を押し上げたり、預金金利を操作して押し下げたりする。第23章で説明するように、預金金利は銀行間取引金利の下限を設定する。なぜなら、銀行は中央銀行に準備を保有することによって常に預金金利を得られるため、銀行はそれより低い金利で準備を貸し出そうとはしないからだ。一方、割引金利は銀行間取引金利の上限を設定する。なぜなら、銀行は中央銀行から準備を借りることが(いかなる時も「必ず」)できるので、銀行はそれより高い金利で他の銀行から準備を借り入れることをしないだろうからだ。それゆえ、銀行間取引はその下限(預金金利)と上限(割引金利)の間で変化する傾向にある。中央銀行は、それら2つの間を狭くすれば、銀行間取引金利の変動幅を縮小させることができる。

第10章で見たように、民間銀行は効率的な機能を果たす支払制度を実現するために、中央銀行に準備を保有している。例えば、ある顧客が自らが口座を所有する銀行とは違う銀行の口座を所有する小売業者から、財・サービスを購入したとする。この時発生した支払いによる調整は、顧客と小売業者の保有する銀行口座だけで行われる訳ではない。顧客・小売業者それぞれの使用する異なる2つの銀行の準備も調整される。支払制度におけるそのような動きは、一方の銀行の準備を減少させ、もう一方の準備を増加させる。準備が赤字の銀行は超過準備を抱える銀行から、銀行間取引市場を通して、準備を借りようとする。その後、普及している銀行間取引金利を支払う。

「銀行は顧客に準備を貸し付けていない」ということを理解することは重要である。それは主流派経済学の理論とは逆行することになる。主流派経済学者は、銀行と中央銀行との間の効率的な決済を確保することにのみ慣れている。

もし(全ての銀行の保有する準備)全体で超過準備が存在する場合、その時、市場は銀行間取引金利をゼロに向かわせる。なぜなら銀行は貸し出そうとする準備の価格(すなわち金利)を下げようとするからだ。同様に、もし(全ての銀行の保有する準備)全体で不足が生じた場合、銀行間取引金利はそれの目標金利の上限に向かう。中央銀行はさらなる準備を供給すれば、その金利の上昇を抑えることができる。

準備は、中央銀行による「割引窓口貸出2」、中央銀行が国債を購入することによる「公開市場操作」、中央銀行による「金・外国通貨・民間が所有する金融資産の購入」によって、増加する。言い換えれば、銀行は準備が不足しても、中央銀行の割引窓口から借り入れることができ、中央銀行に金融資産を売却することができるので、準備を安定させることができる。いずれの場合でも、中央銀行は準備が不足している銀行に中央銀行準備預金を追加する。

中央銀行は銀行システムにおいて超過準備(すなわち、銀行が自らの望む以上の準備を抱えている状態)が発生した時にこれらの行動を起こす用意がある。超過準備を抱える銀行は、割引窓口から借りた準備を返済することができ、あるいは中央銀行から資産(外国通貨や民間の資産を買うこともあるが、通常は国債を買う)を購入することができる。その時中央銀行は彼らの中央銀行準備預金を引き落とす。

中央銀行は必ず日々の準備の供給と需要を予測する。幸運にも、銀行制度において準備が不足するのか超過するのかを予測するのは容易である。翌日物金利は目標金利に近づいていくだろう。その目標金利は、中央銀行がほぼ自動で追加の準備を提供したり、余分な準備を吸収する現象を引き起こす3

平時において、中央銀行は民間銀行の準備の需要に対応する。そのため、中央銀行は翌日物金利を操作できる。この準備の量は中央銀行によって自由裁量的に決定できるものではない。金利目標は中央銀行の自由裁量で決定できる。有事の際は、中央銀行の準備に対する銀行の需要は突然上昇する。なぜなら有事の際、銀行は自らの準備を他の銀行に貸し出そうとしないからだ。この状況では、中央銀行は追加の準備を提供しなければならない。

中央銀行は、財政黒字や財政赤字の発生によって金融システムが崩壊しないように、財務省と連携する必要がある。財政赤字と財政黒字はどちらも準備に対して影響を与える。その点については本章の3・4節で、財政政策とその影響について概説する。

最後に我々は、「最後の貸手」としての役割も含む、中央銀行のその他の役割について述べる。例えば、金融危機に直面した銀行は、他の銀行が超過準備を抱え、システム全体で準備が十分であったとしても、銀行間取引市場で準備を調達することができない。なぜなら、個々の銀行が準備を貸し出しても返済されないことを恐れ、準備不足の銀行への貸出を渋るからだ。その時、中央銀行は準備不足の銀行に貸し出しを行い、解決に乗り出すだろう。そして、解決のために必要とあらば、その銀行を閉鎖する。

また中央銀行は、銀行その他の金融機関を規制・管理する。例えば、銀行は貸出を禁止したり(すなわち信用管理)、預金の発行を禁止したりするかもしれない。多くの国において、中央銀行は、個々の銀行及び金融システム全体の「安全性と安定性」を確保する役割を担っている。そのような役割は、中央政府の財務省、地方政府、政府から独立した規制団体といった、その他の機関によっても担われている。加えて、多くの国は金融機関の行動規範を定めている。例えば、バーゼル規制は金融の安定性を高めるための基準を定めている。

銀行の規制と管理についての詳細な説明は、マクロ経済の本が取り扱う領域を超えた、専門的な説明が必要となる。しかしこの本では、金融不安定性と世界金融危機について説明する際、それらのことについて少しでも説明したいと思う。

20.3 財務省

財務省とは、選挙で選ばれた政府の財政を担当する機関である。それは政府支出や徴税を通して財政を運営する。各国における財政に関する行為は、その国の財務省で行われている。アングロ・サクソン諸国では「Treasury(国庫、財務省)」という言葉をよく使う。

遠い昔、政府は負債を発行することによって直接政府支出をしていた。その負債は、合札(あいふだ)、硬貨、紙幣といった形で発行された。行政当局は好きな時、好きなものに、財務省が発行する貨幣で支出することができた。その貨幣は財政赤字を埋めるために供給されたものだ。

財務省は、選挙で選ばれた代議員の認可を得た形で、徴税の任務も負っている。普通、徴税した通貨の中には、財務省が支出のためにかつて発行した、貨幣単位で表されている負債が含まれている。しかし加えて、時には財務省は、他の負債(他国の通貨、あるいは、自国の通貨ではあるがその他の政府負債や民間の負債)も税として受け入れることを許可している。近代的な財務省は、自国政府の負債しか受け取らない。それは中央銀行が発行した準備(中央銀行当座預金)や貨幣、もしくは財務省が発行した硬貨や紙幣などだ。

政府と民間、それぞれの財務会計

たとえいくつかの会計原理が共通していたとしても、中央政府の財務会計の基準に、家計や企業で採用されているものを使用すべきではない。ここでは第2章の背後にあった主張と、その要約・補足を説明したいと思う。

第一に、政府の目的は社会目標の達成、すなわち公共の福祉の向上であるべきだ。「政府の本当の目的が達成されるか否か」と、「財政が黒字か否か、政府の借金が増えているか否か」は関係する必要がない。

第二に、政府には主権がある。この事実は、家計や企業にはない権力を政府に与えている。政府は税を徴収でき、貨幣を発行できる。政府に徴税権力があるということは、政府は家計や企業とは違い、商品を売ったりして収入を得る必要がないということを意味する。政府に通貨発行権があるということは、政府が負債を発行して商品を購入できることを意味する。端的に言えば、イギリス、アメリカ、日本、オーストラリアなどの自国通貨を発行する国の政府は、資金不足になることがないのだ。これらの政府は通貨を発行することによって、販売されているあらゆる財・サービスを購入することができる。彼らは、経済における実際の資源をどのように配分するかを考えなければいけないが、「財政的」制約には縛られない。

税収は広く人々に「収入」として理解されているが、その収入は家計や企業にとっての収入と同じものではない。政府は新たな税を課したり、増税することができる。

政府は支出をする際、徴税や借入を行なっていない。もし家計が現金で納税する場合、政府はただその現金を受け取り、その現金をシュレッダーにかけるだけである。それゆえ、徴税の概念が家計や政府における収入と同じ概念であるとみなすことは間違いである。

また、今日の財政黒字(税収が支出を上回っている状態)は、将来における政府支出を増やすわけではない。また、今日の財政赤字(税収が支出を下回っている状態)は、将来における政府支出を減らすわけでもない。

事実、短期間であれ長期間であれ、ある一定期間における政府の支出と税収は等しくなければいけないという主張の背後に、根拠や経済理論は存在しない。財政赤字とは、ある一定期間における税収と支出の差でしかない。それは、政府が「資金不足になる」兆候でもないし、「自らの資金力を超えて支出してしまっている」わけでもない。財政赤字の大きさそれ自体は、「政府が支出しすぎている」や「税収が少なすぎる」といった評価を下すための判断材料にはならない。大きな財政赤字は、「政府の支出が少なすぎる」時と「税収が多すぎる」時に最適な政策である。

徴税と支出はそれぞれ手段として独立している。

一方で、家計や企業は収入の制約がある。なぜなら彼らは、顧客に自らの商品や負債を購入するように強制することはできない。たとえ力のある大企業でさえ、商品の価格を上げれば顧客が代わりの企業の商品を買うこと、負債を増やし続ければ貸し手がいなくなることを理解しているだろう。同様に家計も、自らに対してさらなる収入を与えるように誰かを強制することができない。また、自分に対して貸出を強制することもできない。彼らの支出は収入・事前の貯蓄・借入に制約されている。

一方、政府は全く異なる状況にある。人々へ課税することによって、人々は納税への支払いのために通貨が必要になる。そのため徴税は、通貨を使用する公的支出に対する、需要を創出する。この方法で非民間部門は、自らの支出に対する需要を創出することができる。企業も家計も、永久的に負債を蓄積し続けることなどできない。彼らは、最終的には負債を返済するために支出を犠牲にしなければならない。それゆえ、企業・家計・地方政府(州など)は、支出をするために収入・貯蓄・借入を必要とする。

これらの主張は議論を呼ぶものではない。これらは事実である。上記の事実を援用して、政府は際限なく税を上げるべきだ、あるいは、政府は際限なく支出をすべきだと考えるべきではない。しかしそれらは、政府の支出を賄う作業が民間組織の予算を賄う作業とは違うことを示唆してくれる。

MMTは、家計での予算のやりくりの経験は、政府の予算のやりくりのために全く活かすことができないと教えてくれる。しかしまだ日常的に、メディアや多くの政治家は、家計と政府の予算のやりくりを同じものと捉えている。

部門収支

マクロ経済とマクロ経済計算との間の違いも関係している。個々の家計や企業には、資産と負債を計算するバランスシートが存在する。家計や企業の支出は所得とバランスシート、つまり資産の売却や借入によって制約される。家計や企業は、所得を超える支出をする際、(金融4・実物資産を売らなければ、)銀行の合意を得て、銀行の設ける基準に従って借入をしなければならない。

一方で、もし家計・企業の集団を考慮する場合、状況は違ってくる。国内民間部門は、その他の経済部門(政府と外国部門)の「収入よりも少なく支出をしよう」という意思に依存して、赤字支出(収入より多く支出すること)をすることができる。(第6章で強調したように、)ある経済部門の赤字は、他の経済部門の黒字である。この黒字は貯蓄であり、その金額は赤字部門の赤字額と等しい。原理上、少なくともある部門が黒字になりたいと思っている間は、その他の部門が「永久に赤字にならない」ことなどあり得ない。ある一つの部門が黒字になることを望めば、その他の部門のうち最低一つの部門は、赤字にならざるを得ない。

現実世界では、アメリカ、イギリス、オーストラリアを含むほとんどの国の政府が慢性的に赤字支出をしている状況を観察できる。この状況は、政府以外の経済部門(民間部門・海外部門)が収入よりも少なく支出しようとしている傾向を反映している。非政府部門は政府からの支払いによって純資産を蓄積している。あらゆる期間において、非政府部門は、政府部門の赤字と同額の貯蓄をしている

同時に、非政府部門が蓄積してきた純資産は、政府部門が発足当時より発行してきた純負債と同額である。非政府部門の純資産の計算において、非政府部門同士で発生している貸借は相殺される。しかし、政府部門と非政府部門との間で発生した貸し借りは相殺しない。よって、政府部門の純負債は、非政府部門の純資産となる。

この恒等式は、外国部門という非政府部門を考慮に入れても変わらない(なお、我々は非政府部門を、国内民間部門と外国部門という構成要素に細分化して考えている)。アメリカ、イギリス、オーストラリアといった国の政府はここ数十年に渡って赤字支出をしているため、外国部門5はそれら各国の貨幣単位で純金融債権を蓄積し続けている。これらの純資産は始め、外部黒字を計上している国の中央銀行の現金や準備で保有されている。しかしその後、それらは通常、利子を得るために外部赤字を計上している国の政府債務と交換される。

部門収支は恒等式によって結びついている。よって、政府部門の赤字は非政府部門の黒字と等しくなると定義できる。また、政府部門の負債は非政府部門の金融資産と等しくなるとも定義できる。第6章でも見たように、このマクロ経済の関係性は、個々の企業や家計を分析しているだけでは明らかにはならない。

20.4 金融政策と財政政策の調整

財務省と中央銀行で構成される統合政府は、ほとんどの近代的な国家に適用できる普遍的なモデルである。今日でさえ、多くの国は財務省と中央銀行の間の責任を明確にせずに政策を運営している。従って、統合政府の概念は理論的に興味深いものである。

MMTの文献は「中央銀行と財務省を政府に統合する」という見方から議論を始める点で共通しているが、ここでは中央銀行と財務省の間にある責任の区分を維持しようと思う。

中央銀行の義務

中央銀行の義務は以下のものである。

• 多くの国では、紙幣を発行する。硬貨も発行する国もある。

• (割引窓口、あるいは第二次市場での公開市場操作を通した国債の購入によって)準備を発行する。

• 翌日物金利の設定。銀行間決済を簡略化する手形交換所の運営。銀行と財務省の間の決済。

• 外国通貨や金などに関わるその他の取引の管理。

中央銀行と財務省を比較した場合、中央銀行にもう一つ特別な機能が備わっていることが分かる。それは、銀行と財務省との間における、支払いの仲介者としての役割である。この役割は、そもそも銀行が中央銀行に準備預金口座を持っており、財務省には何ら口座を持っていないという状況から発生している。それゆえ、財務省と中央銀行の統合という概念に伴う分析上の簡易化は、それほど議論に影響を与えない。

財務省の義務

財務省の義務は以下のものである。

• 非政府部門に対する支払いの実行。

• 非政府部門からの納税の受領。

• 新規国債の発行が発行する(通常、公的な負債を取り扱うことに特化した管理機関して発行する)。

• 硬貨の発行(アメリカなど)。

なお、今日でも財務省は中央銀行を通して支払いや受払いを行い、民間人は民間銀行の口座を通して支払いや受払いを行なっているということに留意しよう。

一般的に、多くの国の財務省には、以下の2つのような、自発的に定めた運営上の規則がある。

1. 財務省は、支出を行う際、中央銀行宛ての小切手を書く。財務省は中央銀行における口座残高を使用して支払いを行う。この規則に従うので財務省は、小切手を使って支払う前に、十分な預金を中央銀行に持っていなければならない。

2. 財務省は、第一次市場において中央銀行へ新規国債を発行・販売してはならない。財務省は、中央銀行に国債を直接買い取らせてはならない。財務省は、国債を政府以外の民間銀行やその他の投資家に売らなければならない。しかし中央銀行は、第二次市場においてであれば国債を買うことができる。中央銀行は、政府以外の民間銀行やその他の投資家から国債を買うことができる。

通常、法律やその他の規則によって、財務省は債券を自分の銀行(支出のために使用する中央銀行)に売却することを禁止されている。一方で、民間銀行に対しては直接国債を販売することができる。ここで理解すべき重要な点は、この制約は本質的なものではなく、政府が自発的に課したものであるということだ。

この制約は、何らかの経済・金融上の必要性や、確固たる財政理論から導き出されたものではない。むしろ、政府支出を難しくしようとするイデオロギー的な思考・選好から生まれたものといったほうが良い。緊急時(例えば世界金融危機)においては、危機に対抗できるように政府へ通貨発行の能力が付与されるなど、しばしばそれらの制約が急速に緩和される。

財務省が支出をする際、経済に(通常、中央銀行の準備という形で)通貨が注入される。民間銀行は、政府に対して財・サービスを販売した者(あるいは単に政府から無償給付を受けた者)の口座残高を増加させる。同時に中央銀行は、その民間銀行が中央銀行に保有する準備の口座残高を増加させる。これは、民間銀行が支払いを受けるためには中央銀行に口座を保有している必要があることを意味する。

財務省は通常、中央銀行が発行した準備という形の、貨幣を使用した納税しか受け取らない。このことは、税が支払われる瞬間に、民間銀行が納税者の口座残高を引き落とし、同時に、納税者が口座を保有する民間銀行の準備口座から中央銀行が同額を引き落とすことを意味する。

赤字支出は、純粋な通貨の放出を意味している。逆に財政黒字は、非政府部門がストックとして保有する通貨(すなわち、銀行準備・紙幣・硬貨)の純粋な減少を意味している。

「中央銀行は財政赤字を賄うために通貨を印刷する」という見方には欠陥がある。もし政府が財政を赤字で運営した場合、まず第一段階として、それは必然的に銀行準備の増加をもたらす(一度銀行準備が減少したとしても、最終的にはそれ以上の増加をもたらす)。他の条件が同じならば、財政赤字は、銀行システム全体での超過準備を発生させる。既に述べたように、それは翌日物金利の低下圧力を生み出す。

しかし、もし中央銀行が翌日物金利を高めようとしているならば、中央銀行は準備に対して金利を支払うか、債権の金利の支払いを行うだろう。あるいは、翌日物金利の下限を設定するために使用できる、利付債務証書を持っていなければならないだろう。一般的に、政府支出が超過準備を生み出した時、中央銀行は、準備の利率より大きな利率の債券(多くの場合、国債)を売却する。これにより、超過準備の解消できる。この方法は公開市場操作(open market operations)として言われるものだ。

中央銀行から債券を買う銀行は、法的に要求される準備残高、運営上必要な準備残高、決済目的で必要な準備残高を考慮して、資産構成について選択を行っている。もし彼らが超過準備を抱えている場合、彼らは金利が得られる資産を購入することを望み、高金利の国債に魅力を感じるだろう。通常時、銀行は多くの超過準備を抱えようとはしない。公開市場操作による債券の売却は、銀行が超過準備を抱えていない状況を確保する。分かりやすく言うと、中央銀行が売却する魅力的な債権の金利は、中央銀行の翌日物金利目標が達成されることを確保する。

これらの中央銀行の業務は、財政赤字の額に合わせて新規国債を減らしたり増やしたりしようとする、財務省と歩調を合わせて行われる。なぜなら中央銀行が、財政赤字によって生み出された超過準備を排出させるために、債券を売却するからである。重要なのは、そのような中央銀行の操作が赤字支出を賄うために行われるわけではないということだ。むしろその操作は、中央銀行が設定した目標金利を維持し続けるために行われている。一般的に、流動性の量(すなわち、準備の量)は、政策によって自由裁量的に決定されることはない。なぜなら、準備に対して目標金利と同じ金利が中央銀行から支払われない限り、超過準備は、目標金利(ゼロ以上のあらゆる金利があり得る)よりも低い金利を発生させようとするからである。よって平時の際、中央銀行は、超過準備を無くすために公開市場操作による債券の売却を行う。6

バランスシートと具体的な数値を使った例題

それでは、財務省が100ドルの支出をすると仮定して、簡単な分析をしてみよう。

まず、中央銀行が民間銀行の保有する準備に支払う金利はゼロと仮定する。ただし、銀行間取引金利の目標は正の数とする。財務省は中央銀行に口座を持っているとする。また財務省は、支出を計画する際、その支出を満たす口座残高を持っていなければならないとする。

簡略化のため、そして、財務省と中央銀行が一つに統合されているという概念を反映するため、中央銀行は第一次市場で国債を直接購入できると仮定する。

表20.1は、100ドルの政府支出が発生した後の、バランスシートの変化を時系列的に表している。段階1において、財務省は自らの預金を、中央銀行に国債を発行・売却することで増やしている。それゆえこの例において我々は、財務省が自発的に自分に規制をかけていない、本質的な近代的貨幣制度に注目する必要がある。マルクス経済学派の専門用語で言えば、我々は「イデオロギーのベール」を取り払う必要がある。

さて、財務省が純支出をしたならば、政府による財・サービスの購入額と同じく100ドル分、非政府部門全体の預金が増加する(段階2)。同時に、民間銀行が中央銀行に保有する準備残高が100ドル増加する。それは民間銀行にとっては資産の増加であり、中央銀行にとっては負債の増加である。

民間銀行の負債の増加額は、非政府部門の資産の増加額と同じだ。また、民間銀行が保有する、中央銀行における準備残高の増加額とも同じだ。それゆえ、中央銀行と民間銀行の純資産の額は変化していない。一方、財務省の中央銀行預金の残高は、国債発行前の水準に戻っている。

決済機能を担う中央銀行に民間銀行が保有する準備は、100ドル増加した。そして、経済活動は活発にはなった一方、おそらく銀行は100ドルの追加的な準備を嫌々保有しているだろう。

ここで要求準備率が10%であるということを仮定しよう。この例では、これは、銀行が10ドルの準備を保有しようと望むことを意味する。超過準備を保有するそれらの民間銀行は、他の銀行に自らの超過準備90ドルを貸し出そうとするだろう。銀行システム全体の超過超過(すなわち銀行全体の超過準備)が存在することを考慮すると、中央銀行の活動を除外した場合、民間銀行による準備の貸出という活動は、銀行間取引金利を目標値よりも下落させるだろう。

表20.1 政府の純支出に関するバランスシート

そうなれば中央銀行は、額面価格90ドルの国債を民間銀行に売却し(段階3)、銀行間取引金利を目標値の範囲内に誘導しようとするだろう。90ドルの超過準備を保有する民間銀行は、この国債を購入する意欲を持っているだろう。中央銀行によるこの活動は、銀行間取引金利の下方圧力を取り除くだろう。これにより中央銀行は、銀行間取引金利の目標を設定するという独自の金融政策を、一貫して達成できる。そして、表の最後に表されている「ストック」という段階では、会計科目の最終的な変化の合計を表している。

それゆえ、中央銀行と財務省との間の政策の調整は、財政赤字による結果に対応するために必要となる。7

一般的に、中央銀行における銀行準備と、非政府部門(すなわち、銀行、非金融企業、家計)が保有する現金(紙幣・硬貨)との合計は、マネタリーベースと定義する。この例では、非政府部門の保有する紙幣・硬貨の量が不変であるのにも関わらず、マネタリーベースが10ドル増加している。8

非政府部門が保有する純金融資産は、彼らが保有している純資産とマネタリーベースの合計として定義されている。この例でのそれは、国債が90ドル、現金が10ドル増加したので、全体で100ドル増加した。

それゆえ、国内経済における、財務省の純支出による100ドルの垂直的な取引は、予想した通り、100ドルの非政府部門の純資産を生み出す(ここで示す、取引の「垂直」、「水平」の概念は第6章で説明したものだ)。

それでは、政府による100ドルの純支出を扱った、表20.1の取引を数学的に分析してみよう。G は政府支出を、i は名目金利率を、B は非政府部門が保有する国債残高を、iB は非政府部門が保有する国債残高への利払いを表している。それらの合計が (G + iB) である。T は税収を表している。純支出が発生するのは支出が税収を上回った時、すなわち (G + iB > T) の時である。次は右辺を見てみよう。M はマネタリーベース残高を表し、B は上述の通りだ。そして、∆ という記号は数値の変化を表す。よって ∆M は、マネタリーベース残高の変化を、∆B は非政府部門が保有する国債残高の変化を表している。

(20.1) G + iB – T = ∆M + ∆B

財政赤字(左辺 > 0)は非政府部門の黒字を生み出す。それは、非政府部門が保有するマネタリーベース残高と国債残高の増加という形を持って現れる。

次章では、この恒等式が、「政府の予算制約」としてどのように言及されるかということを説明する。またそれが、主流の経済学者によって、「財政赤字を補うために必要な、政府に対する事前の財政的制約」としてどのように解釈されるかについても説明する。実際には、この恒等式は、政府の自由裁量的な政策と経済状態の結果として発生する、「事後的な」統計を表している会計等式に過ぎない。主流派経済学の教科書が示す教えとは反対に、自国通貨を発行する政府は財政上の予算制約に縛られていない。

国債に対して需要は十分に存在しているのか?

ほとんどの先進国において、政府が自発的に設定した規制と慣習の結果として、財務省は、支出を賄う十分な中央銀行預金を保持していない場合、債券を売ってそれを調達しなければならない。重要な問題は、銀行(そして、第一次市場のオークションに参加資格が取扱業者)に十分な需要があるかどうかだ。

銀行が第一次市場のオークションで財務省から債券を購入する際、彼らが中央銀行に保有する準備は減少する。もし債券を買う意欲があるのだが、超過準備を持っていなかった場合、銀行は、銀行間取引市場で超過準備を抱える他の銀行から準備を借りてくるか、割引窓口を通して中央銀行から準備を借りてくるだろう(このことについては第23章で詳しく述べる)。

既に述べたように、銀行システムに超過準備がない場合、中央銀行は、債券を購入するために準備を借りようとする銀行に引き起こされるかもしれない、翌日物金利に対する圧力に対応する。中央銀行は、割引窓口での貸出、あるいは公開市場操作の債券の買取を通して準備を創造する。

金利目標の存在があるので、中央銀行は常に金利の調整業務に追われている。それゆえ銀行は、債券を購入したいと思えば、常に追加の準備を手に入れることができる。銀行は準備よりも債券を好む。なぜなら、準備に付与される金利よりも債券の金利の方が高いからだ。

ほとんどの国では、国内の債券を買う用意がある、特定の金融機関が存在する。例えば米国では、米国債のオークションにおいて入札する義務を負わされた、21の取扱業者(訳注:彼らのことは、プライマリー・ディーラーと呼ぶ)が存在する。同様にイギリスでは、財務省短期証券の第一次市場の参加者は、勤勉さが評価され、投資家に代わって債券を入札することを認可された金融機関である。これらの機関は第二次市場にも参加できる。本質的に彼らは、常に新規国債を購入するために待機している。そして、準備が不足している際、金利の上昇圧力を緩和するために、それを第二次市場にいる銀行、または公開市場操作を行っている中央銀行に売却する。

第一次市場での国債発行に対する購入者の申し込みは、定員以上になることが一般的である。この事実は明白である。つまり、財務省の新規発行国債に対する需要を心配する必要はない。中央銀行の金利目標は、民間銀行が、債券を買うための準備を手にいれる状況を確実にする。

20.5 税と主権国家の支出

政府が発行する通貨を使用した課税は、その通貨に対する需要を生み出す。このことは既に説明した。また、主権国家の政府は、支出をするために収入を必要としないということも説明した。政府の予算における「収入」について言及するときでさえ、民間部門(家計や企業)におけるような「支出のための収入」と同じような概念で言及することは不適切である。9だが、政府が受け取る税収は、政府支出をやりくりするために本質的に必要であるというわけではないことは確かだ。

我々は「政府支出のための税」という考え方に慣れているため、このことは衝撃的だ。その衝撃的な考え方は、通貨を発行しない地方自治体および州に当てはまる。また、外貨を採用したり、金や外貨に自国通貨を固定したりする国にとっても概ね正しい。

固定相場制の政府は、設定した相場で金や外貨と自国通貨を交換するために、それらを保有していなければならない。通貨が流通すると、金や外国通貨との交換の提供が誰に対しても難しくなるため、徴税は、自国通貨を経済から取り除き、誰かが金や外貨と自国通貨を交換することを難しくする。すなわち、固定相場制を採用する国の政府支出の額は、税収と同じ水準に制約される。

だが、固定相場で金や外貨に変換する約束をしていない、固有の主権通貨を発行する政府(つまり、変動相場制下の政府)の場合、政府支出を賄うための徴税が必要ないため、我々は全く異なる方法で税金の役割を考える必要がある。

さらに、論理を逆にすれば、「人々が通貨を使って納税ができるようになる前に、政府は自身が発行する通貨を使用した支出(または貸出)を必ず行なっている」と考えることができる。

支出が先で、課税が後。これが適切な論理的順序なのだ。

この主張を初めて聞く人のなかには、論理的に飛躍して、次のような疑問を抱くだろう。「ならば、税を完全になくしてしまえば良いのではないか」と。しかし、そのアイディアは間違いだ。第一に、通貨を動かしているのは課税だ。もし、ある通貨での課税を廃止すれば、人々はその通貨の使用を直ぐにやめることはないだろうが、その主な要因はなくなるだろう。

第二に、(ひとたび通貨が確立され、広く受け入れられたならば、)課税は総需要を縮小する効果がある。課税は、政府が自身の社会経済的使命を果たす支出をするための、実物の資源の余地を生み出す。課税は、非政府部門の購買力を低下させる。そのことは、非政府部門の実物の資源を使用する能力を低下させ、政府支出でそれを使用するための実物の資源を発生させる。

さて、国のGDPの30%を政府支出が占め、税収がGDPの27%を占める事例を考えてみよう。政府支出が占める割合は3%だ。もし課税を廃止した場合、(他の事情が同じならば、)純支出はGDPに対して30%になる。それは大きく総需要は増やし、インフレを引き起こす。

したがって、課税は実物の資源(労働力や設備)を解放する。それがなければ、それらの資源は営利目的で非政府部門によって使用されていただろう。すなわち課税は、全ての資源が完全に利用された時に発生するインフレを予防し、政府が支出できるようにする。

したがって、税は実物の資源(労働力や設備)を解放する。それがなければ、非政府部門が自らの下心のために自由にそれらの実物の資源を利用する。全ての資源が活用された時にインフレが発生する。それゆえ税は政府に、インフレによる制約に直面することなく支出をすることを可能にする。

理想を言えば、反循環的な課税(景気が悪い時に課税を減らし、景気が良い時に課税を増やす)が望ましい。それは、反循環的な経済に政府が実質的に貢献することを助け、総需要が安定することを助ける。その状況では、財政支出は自動安定化装置として働く。

これらの全てについて、1940年代に連邦準備銀行の理事長を務めたビアーズリー・ラムルは認識していた。彼は課税の役割についての重要な論文を書いている(Taxes for Revenue are Obsolete and Tax Policies for Prosperity, 1946a and 1946b)。

まずは、彼の「政府は税収を必要としない」という説得力のある主張を説明し、その後、彼の視点に立って税の役割について考えてみよう。彼は次のことを強調した。「国家の財政政策の目的は、何よりも、健全な通貨と効率的な金融機構を維持することにある。このことを我々は認識しなければならない。だがその基礎的な目的に沿って考えれば、財政政策は、高水準の生産的な雇用と繁栄の獲得に向けて多大な貢献をすべきであり、そして実際に可能である」(1946b: 82-3)。この視点は、この本の冒頭で提示したものと似ている。

また彼は、第二次世界大戦後の2つの変化によって、アメリカが上記の社会目標を達成するための能力を獲得したとも言っている。「一つ目の変化は、中央銀行の運営に関する膨大な新しい経験である。2つ目の変化は、通貨を金やその他の財と交換することを国家の目標として設定することをやめたことである」(1950: 91)。この2つの状況によって、「当然の結果として、貨幣市場における金融上の要求に対して、連邦政府は最後の砦となり、(中略)連邦政府は自らの支出を賄う税が足りないことを心配する必要はなくなった」(Ruml, 1946b: 84)。この見解は自国通貨を発行する政府に適用できる。

ではなぜ、政府は課税を必要とするのだろうか。ラムルは4つの理由を提示した(1946b: 84)。

1.購買力を調整する。

2.富・所得の配分する(累進的な所得税・資産税)。

3.ある特定の産業・団体に対して助成または罰を与える。

4.高速道路や社会保障など、特定の国民の利益から費用を直接分離して評価する。

1は、既に先ほど述べたような、インフレに関連した話題である。2は、税を使用することによって人々の所得・富を変化させられることを言ったものだ。例えば、累進課税の場合、高所得者に高い税率がかかり、低所得者には低い税率がかかる。3は、税が望ましくないと思われる行動を抑制できることを言ったものだ。政府は、大気や水の汚染、タバコやアルコールの摂取に対して課税して、それを抑制することができる(また、関税によって輸入品を購入する費用を上げ、国内製品の購入を奨励することができる)。4は、課税が、特定の社会計画の受益者に、その計画の費用を分配できることをいったものだ。例えば、高速道路を使う人にその使用料金を支払わせるため、ガソリンに課税されるのが普通である(高速道路の料金は、それと同じ機能を果たす、もう一つの方法だ)。

多くの人々が、政府の支出のためには税が必要だと考えている一方で、彼は自身の著作(Taxes for Revenue are Obsolete, Ruml, 1946a)の中心の主張の中で、その考えに猛烈に反対していた。政府は高速道路を作る費用を賄うために税を必要としない。ガソリン税や道路料金は、道路を使う人々に、「その道路の建設を自分たちが支援している」と思わせるために考案されたものだ。政府はタバコ税からの収入を必要としているのではない。むしろその税は、タバコを買う費用を上げ、人々の健康を改善させるものだ。

要するに、課税は収入を生み出すために存在しているわけではない。政府は、医療に関する施設や政策を実行するための貨幣を、常に賄うことができる。むしろ、課税は、喫煙者の健康の維持に使用されてしまう実物の資源を、解放するために存在している。タバコ税の根本概念は、喫煙を減らす手段として機能することである。政府の収入を最大化することではない。ラムルは次のように言った(Ruml, 1946b: 84)。「(税によって)提供される公共目的は、収入を上げるという仮面に覆われ、課税計画で曖昧になるべきではない」。

ラムルは1946年の2つの著作を次のように締めくくった。課税が何のために存在しているかをひとたび理解してしまえば、我々は全体的な税収の適切な水準を明らかにできる、と。彼は以下のように結論づけた(Ruml, 1946b:85)。

要するに、我々の課税政策の裏にある発想は、以下のようになるべきである。課税は自国通貨の安定を保つために調整されるべきである、と。(中略)今日、この原則に従い、連邦政府の予算が十分に高水準な雇用を生み出せるよう、我々は税率を引き下げることができる。そして、そうすべきである。

この原理は、この教科書で採用されているものの一つである。だが、一つ留意が必要だ。ラムルは、外国部門の収支が無視していた(このことは、戦後初期の米国には不合理ではなかった)。一部の国が莫大な経常黒字を持ち、その他の国が莫大な経常赤字を抱えている、今日の世界では、その原則を修正する必要がある。

その原理は次のように言い換えられるだろう。税率は、政府の財政結果(赤字・均衡・黒字)が完全雇用と一致するように、設定させる必要がある。

通常、完全雇用で経常赤字になる国(オーストラリア、米国、英国など)では、一般的に、完全雇用で(経常赤字と国内民間部門の黒字との合計に等しい)財政赤字が発生する。

(完全雇用で経常収支黒字を抱えている)日本のような国は、完全雇用で(国内民間部門の黒字から経常黒字を引いたものに等しい)より小さな財政赤字を抱える。ノルウェーなどの完全雇用で経常黒字が大きい国では、インフレを促進しないように、通常、完全雇用で財政黒字が発生する。

20.6 通貨主権と政策の独立

アメリカ、イギリス、オーストラリア、トルコ、アルゼンチン、(ユーロ圏に入る前の)イタリアといったカレンシー・ボード制を放棄した国(自国通貨に見合った外国通貨を保有する制度)は、国内で使用する通貨を創造している。(財務省および中央銀行を含む)政府は、自身の負債として硬貨・紙幣・銀行準備を含むマネタリーベースの発行・支出・貸出をしている。

これらの政府は、自国通貨を外貨や金に固定相場で交換することを約束していない。変動相場制は、財政・金融政策の独立性(もちろん政府の主権には他の側面もあるが、我々はそれを「主権」と呼んでいる)を維持するための鍵だ。

対照的に、既に述べたように、固定相場制を採用する国は、自国通貨に対して十分な外貨を保有しなければならない。このことは政府が、国内政策の独立性より、外貨準備の蓄積を優先しなければいけないことを意味する。したがって政府は、対外収支の名の下に、貨幣主権、すなわち国内政策の独立を放棄することになる。これが、変動相場が政策の独立性に必要な要素である理由だ。

だが、独立性のためには、変動相場制以外のものも必要だ。主権政府は、財務省の小切手発行や電子決済で、支払い先が口座を持つ民間銀行に準備を振り込み、支出(財・サービス・資産の購入、あるいは無償給付)を行う。

同様に、政府が納税をされた時、納税者の銀行預金が同額減少し、納税者が口座を保有する民間銀行の準備も同額減少する。

通常、政府が最初に税収を受け取り、次にその収入を支出すると想定されているが、この作業の流れは、自発的な制約がない限り、主権政府にとって必要ない。

もし、政府が(負債や通貨の発行して)民間銀行へ準備を振り込んで支出し、そして、民間銀行の準備口座を引き落として徴税し(その後、負債や通貨を消滅させ)ても、彼らは税収を支出しているわけではない。変動為替相場と自国通貨を使用する主権政府の支払い能力は、厳格に収入に制約されるわけではない。なぜなら、負債の発行によって支出できるからだ。

注目すべきは、「政府による自分の負債の売却を、借入という行動として捉えるべきではない」ということだ。前節で説明したように、(新規国債であるか、中央銀行が公開市場操作で提供した既発国債であるかにかかわらず、)国債の売却の運用上の効果は、(主に)財政赤字の支出によって生じた超過準備を排出することだ。もし超過準備を排出するために債券の売却が行われなければ、翌日物金利はゼロ(あるいは中央銀行が準備に付与する利率)に下落するだろう。

財務省と中央銀行は、翌日物金利目標(金融政策によって設定)を協力して維持する。彼らは、必要に応じて国債の売却・購入を通じてこれを実行し、準備を排出・追加する。金融当局が望ましい目標金利を維持できるように、流動性(準備)を管理し、準備に対する供給と需要のバランスをとる。

家計などの非政府部門が借入をした時、彼らは負債を発行し、同時に支出に使う銀行負債を手に入れる。一方、主権政府は、自国通貨を支出する以前に、銀行で預金を取得する必要がない。政府は、通貨を直接発行するか、支出先の銀行に貸方記入することによって、支出することができる。政府は、支出を賄うためではなく、非政府部門が保有する過剰な通貨ストックを吸収するために国債を発行している。政府は、無利子・低利子の政府負債(通常、中央銀行の準備という通貨)に代替する、利子を支払う政府負債(債券)を提供することを申し出て、通貨を彼らの口座から引き落とす。

これは実際に行われている金利政策である。これによって、(金利が得られない)超過準備を消去する。これを行わない場合、翌日物金利は下落していく。それゆえ、国債の売却というものは、本来は金融政策なのである。決して、財政政策(政府支出など)に必要なのではない。

さらに、主権国家の政府の政策を考慮する上で、最後の重要な点がある。それは、政府の債権に対する金利の支払いは、通常の市場原理の支配下には存在しないということである。政府はいつでも超過準備を放置する政策を、自らの意思で選択することができる。もしその選択を取った場合、翌日物金利はゼロに向かって下落していく(あるいは、準備に対して付与される「支援金利」というものを支払って下落を防ぐ)。

主権政府のそのような操作に関する最後の重要な点は、「国債に支払われる金利は、通常の市場の影響を受けない」ということだ。主権政府は、銀行システムの超過準備を放置することを、いつでも選択できる。その場合、翌日物金利はゼロ(または、準備に対して中央銀行が付与する、支援金利の利率)に向かって下落するだろう。

翌日物金利がゼロの際、財務省はいつも小数点以下の金利がついた短期国債を売却する。そしてそれは、購買意欲のある買い手に買われるだろう。なぜなら、その債券は、翌日物金利がゼロの準備に対して、魅力的な代替物になるからだ。これは、変動相場の通貨を採用する主権政府が、希望する利率(通常、設定した翌日物金利の目標よりも0.数%上の金利)で債券を発行できるという点を示している。

さらに、中央銀行は、第二次市場で無制限に債券を購入することを提案することにより、未払いの政府債務に対して希望する利回りを設定することができる。このことについては第23章で再び扱う。

翌日物金利をゼロより上に保つこと(これはつまり、債券に支払われる金利もゼロを超えることを意味する)には、経済的または政治的な理由があるかもしれない。しかし、政府の財政赤字の規模が、発行する債券に支払われる金利に影響を与えると主張するのは、正しくない。

これを理解していないせいか、財務省は時々、利回り曲線を作り、それらの金利が低い場合は長い満期の国債を発行し、逆に、利回り曲線が急な場合は短い満期の国債を発行する。

供給と需要による市場の力が利回り曲線に影響することは事実だが、もし財務省が、「債券売却の目的は、中央銀行が翌日物金利目標を達成できるように超過準備を排出することだ」と理解しているならば、彼らは長い満期の負債を全く発行しないだろう。事実、準備の利息を支払うことは、国債発行に対して適切な代替物となる。なぜなら、翌日物金利が準備の利率を下回ることはないからだ。

結論

この章では、独自の主権通貨を発行する政府の、金融・財政政策を概説した。中央銀行は、支払いシステムを運営し、銀行が小切手を清算するために必要な準備を確保する。財務省は、予算プロセスを通じて承認された政府のために支払いを行う、政府の財政部門だ。近代的な国家において、財務省による支出、あるいは財務省に向けての支払いは、中央銀行を経由して行われる。このことは、財務省と中央銀行が活動を調整しなければならないことを意味する。中央銀行(FRBなど)は財務省から「独立」しているとよく言われるが、実際には、この独立性は実際にはかなり制限されている。なぜなら中央銀行は、財務省の支払いを常に清算する必要があるからだ。中央銀行の独立性は、主に翌日物金利目標を設定することに限定されている。その目標を達成すると、この独立性も制約される。政府支出と徴税はどちらも銀行準備に影響を与えるため、中央銀行は通常、望ましくない影響を相殺し、中央銀行と財務省の業務のさらなる調整を必要とする。

本章では、以前の章の結論を補強した。主権政府が資金を使い果たすことなどない。財務省と中央銀行に運用規則が課せられているにもかかわらず、財務省が、期日が到来した際に、全ての支払いを確実に行えるようにする手順が採用されている。財務省小切手が、資金不足で「不渡り」になることはない。これらの理由から、政府支出と徴税(そして、すなわち財政赤字)が非政府部門に与える影響を分析するために、財務省と中央銀行のバランスシートを統合することがしばしば有用となる。最後に、変動相場の通貨が政策的独立にとってのより多くの余地を提供する理由を議論した。これらの話題の多くについては、後ほど詳しく取り上げる。

出典

Ball, L. and Sheridan, N. (2003) “Does Inflation Targeting Matter?” NBER Working Paper No. 9577, March.

FOMC (Federal Open Market Committee) (2016) “Statement on Longer-Run Goals and Monetary Policy Strategy” available at: http://www.federalreserve.gov/monetarypolicy/files/FOMC_LongerRunGoals_20160126.pdf, accessed 19 February 2016.

Lavoie, M. (2013). “The Monetary and Fiscal Nexus of Neo-Chartalism: A Friendly Critique.” Journal of Economic Issues, 47(1), 1–31.

Ruml, B. (1946a) “Taxes for Revenue are Obsolete”, American Affairs, Winter Number, VIII(1). Available at: http://www.constitution.org/tax/us-ic/cmt/ruml_obsolete.pdf, accessed 2 May 2017.

Ruml, B. (1946b) “Tax Policies for Prosperity”, The Journal of Finance, 1(1), 81–90.

Ruml, B. (1950) “The New Economic Insight”, American Affairs, XII(2), 90–3.

Tymoigne, E. and Wray, L.R. (2013) “Modern Monetary Theory 101: A Reply to Critics.” Levy Economics Institute of Bard College, Working Paper no. 778, November.

後注

1.「法定委任」は連邦準備法で議会によって課され、次のように1977年に修正された。「雇用の最大化・安定的な物価・適度な長期金利の目標を効果的に促進し、生産の増加という経済の長期的な可能性に見合った、金融と信用の総計の長期的な成長を維持する」。これらのうち最初の2つは、「2つの委任」と呼ばれる。3番目は、委任を達成するための追加的手段と見なされている。

2.「割引窓口」とは、中央銀行の融資制度だ。その用語は、中央銀行の「窓口」で適格な短期金融資産を準備と交換するという、歴史的な慣習に由来している。もし資産の「額面」が100ドルであり、90日間で満期を迎える場合、中央銀行は98ドルの準備金を提供するかもしれない。そのうち2ドルの「割引」は、満期を迎えるまでの90日間に得られる利息を表す。今日の中央銀行は、適格な担保に対して「割引率」を付けて、準備を貸し出している。

3.これらの実践の詳細については、第23章で説明する。注目すべきは、もし中央銀行が目標金利に等しい金利を準備に支払う場合、超が準備はそれより下に翌日物金利を押しやらないということだ。通常、中央銀行は、迅速に超過準備を取り除く。しかし、世界金融危機後、一部の中央銀行は、「量的緩和」と呼ばれる、(翌日物金利を目標範囲の下限またはそれ以下に維持しながら、)銀行システムに膨大な量の超過準備を残す手段を採用した。これについては、第23章で説明する。

4. ここで我々は、銀行預金と紙幣・硬貨の保有を含む。

5. 外国部門には、経常赤字を抱えている国や、経常黒字を抱えている国がいる。ドイツ、中国、日本、およびその他の東アジア諸国は、注目すべき経常黒字を抱えている。

6. 前述のように、世界金融危機後、中央銀行は、民間部門の貸出と支出を刺激できることを信じて、銀行システムにおける巨額の超過準備を維持する「量的緩和」という異常な政策に取り組んだ。

7. この分析は、民間部門がさらに10ドルの紙幣を保持することを望んでいると仮定することにより、さらに発展させることができる。それは、彼らの銀行預金と、銀行が保有することを選択する(必要とする)追加の準備を削減する。

8. 一部の教科書において、マネタリーベースはハイパワードマネーと呼ばれていることに注意してほしい。我々はこの用語を使用することを好まない。なぜならそれは、「マネタリーベースは、民間銀行の信用創造を通じて多額のマネーサプライに乗じられる」と主張する、貨幣乗数という欠陥のある概念と本質的に関連しているからだ(これについてのさらなる議論は、第10章で行う)。

9. この用語はラテン語とフランス語に由来し、「戻る」という意味だ。さて、「戻る」とは何だろうか。 もちろん、「税金が支払われる前に通貨が支出されていなければならない」という論理を反映すると、政府自身の貨幣は既に支出されていない限り「戻る」ことはない。論理的には、税金は、支出の必要条件として、通常の意味での「収入」の源泉になることはない。家計や企業には当てはまるが、通貨の主権発行者には当てはまらない。